サダーシヴァ・ラーヤ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

サダーシヴァ・ラーヤテルグ語:సదాశివ రాయలు, タミル語:சதாசிவ ராயன், Sadasiva Raya, 生年不詳 - 1576年)は、南インドヴィジャヤナガル王国トゥルヴァ朝の君主(在位:1542年 -1569年)。

生涯[編集]

ヴィジャヤナガル王国の摂政トゥルヴァ・ナラサー・ナーヤカの息子ランガ・ラーヤの息子として生まれた。

1542年ヴィジャヤナガルアチュタ・デーヴァ・ラーヤの死後、その息子ヴェンカタ1世が王位を継承した。だが、彼はまもなくその摂政であったサラカラージュ・チンナ・ティルマラに殺害され、多くの王族もともに殺害されたが、サダーシヴァ・ラーヤは運よくグッティ城に逃げることに成功した[1]

その後、サダーシヴァ・ラーヤは宮廷の実力者ラーマ・ラーヤ とその弟ティルマラ・デーヴァ・ラーヤに王として擁立されるに至り、ヴィジャヤナガルへと進撃した。

1543年中頃までに、ラーマ・ラーヤはヴィジャヤナガルを制圧し、サダーシヴァ・ラーヤは即位式を挙げ、ヴィジャヤナガル王となった。たが、当然ながら王国の実権は摂政となったラーマ・ラーヤとティルマラ・デーヴァ・ラーヤに握られていた。

1565年1月、ラーマ・ラーヤはデカン・スルタ-ン朝との戦いに斃れ(ターリコータの戦い)、弟のティルマラ・デーヴァ・ラーヤはサダーシヴァ・ラーヤを連れ、南方のペヌコンダへ遷都する形で避難した。

1569年、サダーシヴァ・ラーヤは摂政ティルマラ・デーヴァ・ラーヤに王位を簒奪され、ここにトゥルヴァ朝は滅亡し、新たにアーラヴィードゥ朝が創始されることとなった。

サダーシヴァ・ラーヤは王位を簒奪されたのち、1576年まで生存していたという[2]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 辛島昇 『新版 世界各国史7 南アジア史』 山川出版社、2004年 
  • 辛島昇 『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』 山川出版社、2007年 

関連文献[編集]

  • Prof K.A. Nilakanta Sastry, History of South India, From Prehistoric times to fall of Vijayanagar, 1955, OUP, New Delhi (Reprinted 2002)

関連項目[編集]