サウディアラビアにおける女性の人権

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サウディアラビアにおける女性の人権はイスラーム諸国の中で最低レベルであると広く認識されている。2009年の世界経済フォーラムジェンダー・エンパワーメント指数では134カ国中130位であった。

人権の制限[編集]

サウディアラビアはイスラーム教の中でももっとも厳格なワッハーブ派のシャリーアを国法としている。そのため女性は公的な場面から完全に排除されている。女性による車の運転や近親者による付き添いなしでの外出は禁止されている。また外出時には必ずヒジャーブを身に着けねばならない。遺産相続も男性の半分であり、公的な権限を行使するためには父親、夫、兄弟などの男性の代理人を介さねばならない。一夫多妻制が認められており、安易な離婚や家庭内暴力も問題となっている。

サウジアラビアは1978年採択の女子差別撤廃条約を批准しているが、「シャリーアに反しない限り」という留保をつけており、事実上条約は遵守されていないが、国際連合人権理事会では留保の下に条約は遵守されているという見解を示している。

サウジアラビアの社会通念では女性が子供を産み育てることは人間としての義務であると考えられている。このため、まず結婚して子供を持たないと社会人とは認められない。そのため不妊の女性は大変な差別を受けるので不妊治療に大きな労力が払われているが、無理をしてでも子供を生もうとして子宮移植などの危険な処置が行われることもある。

1990年の「湾岸危機」で、女性を含む米軍兵士が多く駐留し、これをきっかけに、女性の権利拡大を求める声が国内で拡大したという説がある[1]

近年女性の権利が徐々に拡大しているといわれ、アラブの春の影響も指摘される[2]

異性交遊

女性の性的自由はきわめて制限されており、婚外交渉(ジナの罪)が発覚した場合銃殺刑斬首刑絞首刑のどれかで死刑になることが多い。男性の場合は鞭打ちですむことが多く、きわめて不公平であると国際社会の非難を浴びている。

アメリカ人男性と交際した女性が男性共々公開処刑されており、イギリス人男性と関係を持った女性はイギリスに逃げて現在は難民としてイギリスで暮らしている。

就労

女性の権利制限が強くなったのは1950年代以降、油田開発が活発化してからであり、サウジアラビア王国が成立した当時は女性の就労も普通に認められていた。現代でも60歳以上の世代では学校で女性教師から教育を受けた男性も数多くいる。

自国民の女性の就労を厳しく制限している反面、外国人女性の労働者は非常に多く、メイドや女性向けのサービス業などは外国人女性が就労している。

しかし、2002年以降は労働人口の半数が外国人であることが問題視され労働者の自国民化政策を進めるようになり、家事労働やサービス業への女性の就労も法的に認められるようになってきている。

戸籍・パスポート

1992年以降は女性にも戸籍が作成されるようになり、パスポートや免許書などの習得が可能になった、それ以前は親族男性の戸籍への併記で運用されており、外国に旅行に行く場合にも女性個人のパスポートは発行されず、親族男性のパスポートへの併記という形でしか許可されていなかった。

自動車の運転

サウジアラビアは世界で唯一、女性が自動車を運転することを法律で禁止している国である。元々は社会通念上は運転しないという程度の物で都市部では交通警察ではなく勧善懲悪委員会が取り締まっているだけで地方へ行けば女性の運転は珍しいことではなかったが、1990年代から都市部などで運転する女性が急増したことから禁止法が制定された。

この禁止法に対して女性団体が国王に直訴したが、国王からは我慢するようにとの返答がだされ法改正には至らなかった。(サウジアラビアは絶対君主制であるため国王が法律を変えるとの勅令を出せば法律が変わる。)

なお、女性の運転を禁止する法律はなく、ファトワに基づき、「内務省による禁止規則」が設けられているという情報もある[3]

2013年10月には、海外で運転免許を取得した女性たちによる抗議運動が発生した[4]。2011年にも抗議行動が行われていた[3]

教育

女性の教育は近代になってからは積極的に進められているが、依然として制約が多い。

初期の女子大では教員の確保と授業形態に苦労しており、親族男性以外とは口を利いてはいけないとされていたために男性教員と直接会うことが出来ないので、講義をビデオに録画して教室で上映する方式が取られ、生徒が先生に質問する場合には家に帰ってから父親などの親族男性に先生宛てに手紙を書いてもらって、親族男性の代理人を通した文通で教師とやり取りするという大変に不便な物だった。

現在ではこのような不便な時代を乗り越えた世代の女性が教員となることで女性の教育機会は増えてきている。

また、状況を改善しようとヒヤル(脱法行為)を用いて男性教員による授業が行われることもあった。

奴隷がハーレムの女性を教育することはムハマンドの時代から行われてきた伝統的な行為であり、奴隷であれば女性と会話しても良いという抜け道を利用して。

エチオピアの大学教授を高給で引き抜いてきて奴隷の身分として大学で講義させるという方式が取られた。

この方式は1990年以降になって法的に認められた黒人奴隷が誕生するという大変な状況となったため、外国からの非難を避けるためアラビア語で奴隷と書いて英語でロイヤル・サーヴァントとルビを振って誤魔化すという大変な苦労をしている。

海外留学・夫婦別居

サウジアラビア人で海外留学する人の四分の一は女性であるが、ほとんどが既婚者で子持ちである。夫婦別居を原則として認めていないため、夫が海外留学する場合には妻も同伴することが必須とされるため、夫婦同時留学となることが多いためである。未婚者で海外の学校に通っている女性は未成年で両親が海外赴任しているなどの理由による物である。

女性の権利制限を主張する側の見解[編集]

女性の権利制限を求める側の主張する意見としては「女性が子供を産み育てる義務を果たさなくなる」「誘惑され不倫が横行する」などがある。 宗教指導者は女性差別の法的根拠として、激しい女性差別を唱えたアリーの格言を根拠としている。

格言には以下のようなものがある。

  • 「女は信仰においても欠陥があり、相続においても欠陥があり、知性においても欠陥がある」
  • 「女に助言を求めるな。なぜなら、女の思考力は愚鈍であり、決断力は脆弱だからである」
  • 「必要以上に女を尊重するな。他人に干渉しようなどという考えを女に起こさせるな」

他のイスラーム諸国との比較[編集]

同様に原理主義と呼ばれるイランでも女性の性的自由などは厳しく制限されており、サウディ同様石打刑が施行される。またヒジャーブが強制されていることも変わりない。しかし女性の社会進出は比べ物にならないほど進んでいる。

タリバーン統治下でのアフガニスタンではサウディアラビアときわめて類似した政策が取られており、女性の社会進出も性的自由の承認もなかった。加えて富裕な産油国であるサウディと違い貧困が蔓延したアフガニスタンでは女性は自由の制限と引き換えの『庇護』すら得られず、きわめて厳しい状況におかれていた。

サッダーム統治下のイラクでは女性は比較的人権を保障されており、少なくとも宗教を口実とした人権の制限からは守られていた。

イスラーム諸国でもトルコアルバニアなどでは女性は性的自由や社会進出などの権利を比較的良く享受している。

現状[編集]

2013年1月11日、諮問評議会 (サウジアラビア)の議員に30名の女性を初めて任命した[5]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ サウジ女性、抗議の運転…唯一の禁止国 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)2013年10月28日
  2. ^ サウジアラビア 制約を受ける女性たちは今 - NHK 特集まるごと
  3. ^ a b “「女性の運転認めて」、サウジアラビアで抗議行動”. (2010年6月20日). http://www.afpbb.com/article/politics/2807378/7375214 2010年6月20日閲覧。 
  4. ^ サウジアラビア:運転で女性14人が一時拘束 男性1人も
  5. ^ “サウジアラビア諮問評議会における女性議員の任命について”. (2013年1月17日). http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/25/dga_0117.html 2013年5月6日閲覧。