ゴレスターン条約

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1801年時に赤線であったロシアイランペルシア)の国境は、ゴレスターン条約によって黒線まで南下した

ゴレスターン条約ロシア語: Гюлистанский договорペルシア語: عهدنامه گلستان‎)は、アゼルバイジャンゴレスターンにてロシア帝国カージャール朝によって1813年10月24日ユリウス暦では12日)に締結されたザカフカス地方領有権を巡る条約。

概要[編集]

当地を巡って1804年以降、断続的に発生していたロシア帝国とカージャール朝の第一次ロシア・ペルシア戦争は、アスラーン・デジュの戦いロシア語版でロシア帝国が勝利して大勢が決し、カージャール朝はアラス川以北の地域をロシアに割譲し、グルジアに対する主権を放棄した。イギリスの調停仲介をきっかけとして1813年に結ばれたゴレスターン条約によってカスピ海の航行権をロシアに認め、アゼルバイジャン地域のロシア化がすすむきっかけとなった。

影響[編集]

これによりカージャール朝は大規模な土地基盤を失ったが、1826年にイギリスも介入して第二次ロシア・ペルシア戦争が勃発することとなる。しかしここでも敗北したカージャール朝は後の1828年トルコマンチャーイ条約にてさらに北アーザルバーイジャーンアルメニアを失うこととなる。

参考文献[編集]

  • 西村めぐみ『民主化以後の南コーカサス』多賀出版、2005年