コーンフィールド・ボンバー

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「コーンフィールド・ボンバー」として知られる製造番号58-0787のF-106A戦闘機。1958年に製造され、最終的に1988年まで米空軍にて使用された[1]

コーンフィールド・ボンバー(Cornfield Bomber)は、かつてアメリカ空軍第71要撃戦闘機中隊英語版に所属していたF-106A戦闘機の通称。任務中操縦不能に陥った同機はパイロット脱出後に水平飛行状態に戻り、無人状態でモンタナ州の農地に不時着したものの大きな損傷を受けなかった。後に修理されて任務に復帰し、現在は国立アメリカ空軍博物館に展示されている。

事故の概要[編集]

「コーンフィールド・ボンバー」の製造番号は58-0787で、ここから1958年にコンベアおよびジェネラル・ダイナミクスによって製造された機だと判明している。マルムストローム空軍基地英語版の第71要撃戦闘機中隊(71st Fighter-Interceptor Squadron)に配備されていたが、1970年2月2日の空中戦演習中にフラットスピンの状態に陥った。パイロットのゲイリー・ファウスト(Gary Foust)は減速用パラシュートを展開するなどして回復を試みたものの[2]、これが不可能と判断すると高度15,000フィート (4,600 m)にて射出座席を発射して脱出した[3]

座席の射出後、同機は重量と重心の変化により偶然にもスピン状態から姿勢を回復した[4]。それを見ていたある別のパイロットは降下中のファウストに対して無線で「早くあの中に戻ったほうがいい」("you'd better get back in it!")と話したという[2]。パイロットのいない戦闘機はそのまま飛び続け、やがてファウストの見ている先で、モンタナ州ビッグサンディ英語版の積雪状態の農地へと緩やかに胴体着陸した[4]。ファウストは近くの山に降り立ち、スノーモービルに乗った近隣住民により発見され、救助されている[2][3]

その後まもなく地元保安官が墜落現場に到着したが、その時点で既に不時着時の摩擦や依然としてアイドリング状態にあるジェットエンジンの熱で周囲の雪が解けて機体が滑り始めていた。空軍に連絡をとった保安官は「燃料が空になるまで待て」との助言を得て、その後燃料が無くなるまでの45分間、機体の監視を行っていた[2]。やがてマクレラン空軍基地英語版から到着した回収要員らは平台貨車に積むために機体の両翼を解体しはじめた。回収要員の1人だった将校が報告したところによれば、墜落機の損傷は非常に小さく、通常任務中の戦闘機と比べても大差のない程度だったという[2][3]

その後[編集]

事故後、「コーンフィールド・ボンバー」と通称されるようになった同機は修理の後に任務に復帰し、F-106戦闘機を米空軍で最後まで運用していた第49要撃戦闘機中隊英語版に配備された[2]。任務を退いた後は国立アメリカ空軍博物館に寄贈され、現在まで展示されている[4][1]

脚注[編集]

ノート
  1. ^ a b Fact Sheets > Convair F-106A Delta Dart”. National Museum of the United States Air Force. 2011年7月27日閲覧。
  2. ^ a b c d e f Grier 2009
  3. ^ a b c 58-0787 Pilot-less Landing”. f-106deltadart.com. 2010年12月31日閲覧。
  4. ^ a b c Skaarup 2003, p.84.
参考文献

外部リンク[編集]

座標: 北緯48度10分40秒 西経110度06分53秒 / 北緯48.17778度 西経110.11472度 / 48.17778; -110.11472