コーネリアス・ヴァンダービルト2世

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コーネリアス・ヴァンダービルト2世
コーネリアス・ヴァンダービルト2世、ジョン・シンガー・サージェント

コーネリアス・ヴァンダービルト2世Cornelius Vanderbilt II, 1843年11月27日 - 1899年9月12日)は、アメリカ合衆国の実業家。同国屈指の富豪ヴァンダービルト家の相続人の1人で、鉄道王コーネリアス・ヴァンダービルト(1世)の嫡孫。

ウィリアム・ヘンリー・ヴァンダービルトとその妻のマリア・ルイーザ・キッサム(1821年 - 1896年)の間の第1子、長男としてスタテン島のニュードープに生まれた[1]。同名の祖父コーネリアス(1世)のお気に入りの孫息子で、1877年に祖父が死去した際は500万ドルの遺産を相続した。1867年、ニューヨークのサント・バーソロミュー監督派教会(St. Bartholomew's Episcopal Church)の日曜学校の学友だった幼馴染みのアリス・クレイプール・グウィンと結婚した。コーネリアスはマンハッタン5番街に建てた本邸、ロードアイランド州ニューポートに建てた夏の別邸ブレーカーズを行き来しながら暮らした。

YMCA赤十字救世軍などのプロテスタント系の慈善事業に積極的に関わり、あまりにフィランソロピーに熱心に取り組んだせいでヴァンダービルト家の資産を目減りさせたと言われる。また名門クラブのニューポート・カントリークラブ(Newport Country Club)の会員でもあった。1885年に父が死ぬと、7000万ドルの遺産を相続したほか、ニューヨーク・セントラル鉄道の社主の地位を引き継いだ。仕事中毒と評されるほど職務に熱心だったが、1896年に脳卒中の発作が起きると、事業から遠ざかるのを余儀なくされた。

長男で後継ぎのウィリアム・ヘンリー(2世)はイェール大学在学中に早世しており、コーネリアスの死後は弟のウィリアム・キッサム・ヴァンダービルトにヴァンダービルト家の指導権が移った。

子女[編集]

妻アリスとの間に4男3女の7人の子女をもうけた。

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • Vanderbilt, Arthur T., II (1989). Fortune's Children: The Fall of the House of Vanderbilt. New York: Morrow. ISBN 0688072798.