コンヴェルサーノ

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コンヴェルサーノ
Conversano
コンヴェルサーノの風景
コンヴェルサーノ城
行政
イタリア国旗 イタリア
Flag of Apulia.svg プッリャ
Provincia di Bari-Stemma.png バーリ
CAP(郵便番号) 70014
市外局番 080
ISTATコード 072019
識別コード C975
分離集落 Castiglione, Triggianello
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
公式サイト リンク
人口
人口 25,860 [1](2013-01-01)
人口密度 203.8 人/km2
文化
住民の呼称 conversanesi
守護聖人 San FlavianoとS. Maria della Fonte
祝祭日 11月24日(SanFlaviano),5月最終日曜(S.MariadellaFonte)
地理
座標 北緯40度58分0秒 東経17度7分0秒 / 北緯40.96667度 東経17.11667度 / 40.96667; 17.11667座標: 北緯40度58分0秒 東経17度7分0秒 / 北緯40.96667度 東経17.11667度 / 40.96667; 17.11667
標高 219 (35 - 349) [2] m
面積 126.90 [3] km2
コンヴェルサーノの位置
コンヴェルサーノの位置
バーリ県におけるコムーネの領域
バーリ県におけるコムーネの領域
Flag of Italy.svg ポータル イタリア
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コンヴェルサーノイタリア語: Conversano)は、イタリア共和国プッリャ州バーリ県にある、人口約2万6000人の基礎自治体コムーネ)。

町を見下ろす丘の上に、中世に築かれたコンヴェルサーノ城がある。コンヴェルサーノ伯爵領の首府であるとともに、司教座教会や、大きな権威を有した女子修道院が所在し、この地方の政治・宗教の中心地であった。

地理[編集]

位置・広がり[編集]

隣接コムーネ[編集]

隣接するコムーネは以下の通り。

歴史[編集]

古代[編集]

コンヴェルサーノに人々が定住したのは鉄器時代のことで、ノルバ(Norba)と呼ばれる都市がイアーピュゲス人 (Iapygesもしくはペウケティ人 (Peucetiiによって築かれた。その後、近隣のギリシャ植民都市との交易によって繁栄する交易都市になったことが、紀元前6世紀ネクロポリスの発掘調査の結果としてわかる。

ノルバは紀元前268年ローマ人によって征服された。西暦410年から411年にかけて、西ゴート族がイタリアに侵入した際にはすでに放棄されていたようである。

中世[編集]

5世紀ごろからこの土地は Casale Cupersanem と呼ばれるようになる。7世紀には司教座都市となった。

1054年ノルマン人のゴッフレド(ジョフリー) (Geoffrey, Count of Conversanoがコンヴェルサーノ伯に任じられる(ノルマン人による南イタリア征服参照)。ゴッフレドはロベルト・イル・グイスカルドの甥にあたる人物で、レッコナルドをも支配したことから、コンヴェルサーノは大きな伯爵領の首府として重要性を帯びることになる。

ゴッフレドの死後にコンヴェルサーノ伯を継いだアレッサンドロ (Alexander, Count of Conversanoは、1132年にシチリア王ルッジェーロ2世に敗北してダルマチアに逃れ、コンヴェルサーノ伯の地位はルッジェーロ2世の義弟であるロベルト1世 (Robert I, Count of Conversanoに与えられた。その子のロベルト2世 (Robert III of Loritelloが1182年に没したのち、コンヴェルサーノは王領となっている(1197年から1207年にかけてはベルナルディノ・ジェンティレ(Berardino Gentile)に与えられた)。

その後コンヴェルサーノ伯の地位は、1269年にブリエンヌ家 (County of Brienneに与えられた(アテネ公となったゴーティエ6世 (Gualtieri VI di Brienneが著名である)。14世紀半ば以後、アンギャン家(Enghien)、リュクサンブール家=リニー家、サンセルヴェリーノ家 (it:Sanseverino (famiglia)、バルビアーノ家(Barbiano)、オルシーニ家、カルドラ家(Caldora)、オルシーニ・デル・バルツォ家 (it:Orsini Del Balzoと、諸家の間で継承された。

アックアヴィーヴァ家の支配[編集]

1455年、ジョヴァンニ・アントニオ・デル・バルツォ・オルシーニ (Giovanni Antonio Del Balzo Orsiniが没すると、娘のカテリーナが所領を相続した。カテリーナの夫が、アトリの公爵であったジュリオ・アントニオ・アックアヴィーヴァ (Giulio Antonio Acquavivaである。以後、アックアヴィーヴァ家 (it:Acquaviva (famiglia)が代々コンヴェルサーノ伯を継承し、19世紀初頭までこの地方の封建支配を行った。

ジュリオ・アントニオは1481年、オスマン帝国とのオトラントの戦いで落命した。17世紀前半のコンヴェルサーノ伯ジャンジローラモ2世 (it:Giangirolamo II Acquaviva d'Aragonaは勇猛な武人、芸術家のパトロン、そして暴君として多くの逸話が語られる人物であり、荘園領主としてはアルベロベッロの開発で知られる。

コンヴェルサーノ伯は馬の飼育場(スタッド)を所有しており、バルブ種アンダルシア馬の流れを汲む黒いネアポリタン種 (Neapolitan horseを育成していた。雄羊のような強い頭、短い背、太い飛節 (Hock (anatomy)が特徴であった。1767年に生まれた馬「コンヴェルサーノ」は、リピッツァナーと呼ばれる馬種を生み出す種牡馬の一頭である。

1690年、町はペストにより多くの犠牲者を出した。1806年に封建制は廃止された。

文化・観光・施設[編集]

名所[編集]

コンヴェルサーノ大聖堂
サン・ベネデット修道院の鐘楼
コンヴェルサーノ城
中世に築かれたコンヴェルサーノ城 (Conversano Castleは、コンヴェルサーノの主要な名所である。この城はシチリア王国ノルマン人オートヴィル朝)やホーエンシュタウフェン家が支配していた時代(12-13世紀)にはすでに存在していた。町を見下ろす丘の上にそびえるこの城は、おそらく6世紀のゴート戦争(535年 - 554年)のころにさかのぼり、11世紀以後に改築を受けている。ジュリオ・アントニオ・アックアヴィーヴァは、円形の塔を追加した。
コンヴェルサーノ大聖堂
ロマネスク様式コンヴェルサーノ大聖堂 (it:Cattedrale di Conversanoは、コンヴェルサーノ=モノーポリ司教区 (it:Diocesi di Conversano-Monopoli司教座聖堂(カッテドラーレ)である。この聖堂は11世紀に建設されたが幾度かの改修が行われ、17世紀にはバロック様式の装飾を加えられた。ロマネスク様式の外観の特徴としては15世紀に造られたバラ窓や3つの扉があり、扉のうち中央のものは彫刻装飾を持つ。平面形状はT字型で、2つの後陣を持つ。側廊にはマトロネウム (Matroneum(階上の回廊)があることが特徴で、左側の側廊には15世紀にピサ派の画家によって描かれたフレスコ画がある。この聖堂は、都市の守護聖人である泉の聖母(マドンナ・デッラ・フォンテ) (it:Maria Santissima della Fonte聖画像を収めている。
サン・ベネデット修道院
サン・ベネデット修道院 (it:Monastero di San Benedetto (Conversano)は、伝承によれば6世紀の創建である。プッリャでは有力な修道院の一つであった。1266年、教皇クレメンス4世は、ギリシャから追放されたシトー会修道女たちに修道院の管理をゆだねた。教皇グレゴリウス10世はサン・ベネデット修道院の女子修道院長に男性の宗教的シンボル(ミトラなど)をまとうことを許可した(これは西ヨーロッパでは唯一の事例である)。サン・ベネデット修道院には多くの特権が与えられ、Monstrum Apuliae(アプリアの不思議)と呼ばれた。教会堂の建物の一部は11世紀の建築で、装飾のある入口は1658年の建設である。内部は身廊と2つの側廊からなり、バロック式の装飾が施され、パオロ・ドメニコ・フィノーリア (Paolo Domenico Finogliaによる2枚の画がかけられている。聖マウロのための地下聖堂(クリプト)は11世紀のものである。鐘楼は大聖堂のものよりも高く、女子修道院長が司教以上に高い権威をもっていたことを象徴する。

その他の名所としては、紀元前6世紀ペラスゴイ人英語版によって造られた巨石の壁(Mura megalitich)、バロック式の聖コズマ・エ・ダミアーノ教会(Chiesa dei Santi Cosma e Damiano)、1289年創建の聖フランチェスコ教会(Chiesa di San Francesco d'Assisi)があり、市外1kmには12世紀頃に創建された聖カテリーナ教会(Chiesa di Santa Caterina d'Alessandria)がある。

また郊外には、聖マリア・デリッソラ教会(Chiesa di Santa Maria dell'Isola、1462年創建、1530年拡張)、マルチオーネ城(Castello di Marchione、18世紀に建設されたアックアヴィーヴァ家の別邸)、カスティリオーネの遺跡(Castiglione、13-16世紀)などがある。

スポーツ[編集]

コンヴェルサーノに本拠を置くハンドボールのクラブチーム、Handball Club Conversano は、2000年代以降2011年までにカンピオナート (it:Campionato italiano di pallamano maschile優勝5回、コッパ・イタリア (it:Coppa Italia (pallamano maschile)獲得5回という強豪チームである。

交通[編集]

鉄道[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]

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