コンスタンサ・デ・シシリア

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Konstancie Sic.jpg

コンスタンサ・デ・シシリア(Constanza de Sicilia, 1249年 - 1302年4月9日)は、アラゴンペドロ3世の王妃。父はシチリアマンフレーディ、母はその最初の王妃ベアトリーチェ・ディ・サヴォイアで、2人の間の一人娘であった。イタリア語名はコスタンツァ(Costanza)。

1262年、アラゴン王ハイメ1世の長男である王子ペドロと結婚した。2人の間には4男2女が生まれた。

ペドロ3世はシチリア王女であるコンスタンサを妻とし、また自身もオートヴィル家ロベルト・イル・グイスカルドの娘マファルダの血を引く(先祖のバルセロナ伯ラモン・ベレンゲー3世 (enの母であった)ことから、シチリア王国の獲得を狙っていた。1282年にシチリアの晩祷事件が起こると、これに介入してアンジュー家カルロ1世を破ってシチリア島を獲得し、シチリア王位についた。