コンスタンサ・デ・シシリア
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コンスタンサ・デ・シシリア(Constanza de Sicilia, 1249年 - 1302年4月9日)は、アラゴン王ペドロ3世の王妃。父はシチリア王マンフレーディ、母はその最初の王妃ベアトリーチェ・ディ・サヴォイアで、2人の間の一人娘であった。イタリア語名はコスタンツァ(Costanza)。
1262年、アラゴン王ハイメ1世の長男である王子ペドロと結婚した。2人の間には4男2女が生まれた。
- アルフォンソ3世(1265年 - 1291年) アラゴン王
- ハイメ2世(1267年 - 1327年) シチリア王、のちアラゴン王
- イサベル(1271年 - 1336年) ポルトガル王ディニス1世と結婚
- フェデリーコ2世(1272年 - 1337年) シチリア王
- ビオランテ(1273年 - 1302年) ナポリ王ロベルトと結婚
- ペドロ(1275年 - 1296年)
ペドロ3世はシチリア王女であるコンスタンサを妻とし、また自身もオートヴィル家のロベルト・イル・グイスカルドの娘マファルダの血を引く(先祖のバルセロナ伯ラモン・ベレンゲー3世 (en) の母であった)ことから、シチリア王国の獲得を狙っていた。1282年にシチリアの晩祷事件が起こると、これに介入してアンジュー家のカルロ1世を破ってシチリア島を獲得し、シチリア王位についた。
