コンゴ川
| コンゴ川 | |
|---|---|
| 延長 | 4,371 km |
| 水源の標高 | -- m |
| 平均流量 | 39,610 m³/s |
| 流域面積 | 3,680,000 km² |
| 水源 | アフリカ大地溝帯 |
| 河口(合流先) | 大西洋 |
| 流域 | |
コンゴ川(コンゴ語: Nzadi Kongo, リンガラ語: Ebale Kongó, スワヒリ語: Mto wa Kongo, フランス語: Fleuve Congo)は、中部アフリカのコンゴ盆地を蛇行しながら流れ、大西洋に至るアフリカ大陸2番目の長さ(4,371km)を誇る河川である。コンゴ川の名はコンゴ王国に因む。
目次 |
[編集] 地理
コンゴ川本流の上流部であるルアラバ川は、コンゴ民主共和国南東部のカタンガ高原南部、ザンビアとの国境近くに端を発する。そこからほぼまっすぐに北進し、アフリカ大地溝帯西側のミトゥンバ山地に源を発する支流を併せながら水量を増していく。カタンガ北部のアンコロで、ザンビアに端を発しバングウェウル湖やムウェル湖を通ってきた大支流であるルヴア川をあわせ、さらにその北でタンガニーカ湖から流出するルクガ川も合流する。本流はさらに北進を続け、キンドゥからウブンドゥまでの約300kmは急流もなく緩やかな流れとなる。ウブンドゥからキサンガニのすぐ上流にあるボヨマ滝までは再び急流となるが、キサンガニから下流のキンシャサまでは緩やかな流れに戻る。ボヨマ滝から下流はコンゴ川と名前を変え、弧を描くように流れを西へと向ける。ムバンダカで中央アフリカ共和国とコンゴ民主共和国の国境をなしている大支流ウバンギ川と合流し、更にカサイ川と合流して、キンシャサ・ブラザビル付近で幅が25kmにも広がりマレボ湖を形成する[1]。マレボ湖より下流はリビングストン滝と呼ばれる急流があり、特に高低差の激しいところでは12km流れる間に96mも高度を下げるため、激流となっている。この激流は船の航行を阻み、コンゴ盆地奥地へのヨーロッパ人の侵入を長い間阻んできた。約200km続くこの激流を越えると、高度は海面近くにまで下がり、マタディやボマを経てムアンダで大西洋に注ぐ。
流域面積と流量はアマゾン川に次いで世界2位であり、流域の熱帯雨林もアマゾン川に次ぐ広さを持つ。流域中部は赤道直下で1年中雨が降り、またボヨマ滝の南で北に赤道を越え、ムバンダカ近郊で南に赤道を越えるため、支流が赤道をはさんで南北に分散しており、雨季の時期が各支流によって違うため増水期が分散しており、そのため本流の流量はほぼ一定である。
支流も含めての流域関係国は、コンゴ民主共和国をはじめ、コンゴ共和国、中央アフリカ共和国、アンゴラ共和国である。1971年 - 1997年まではザイール川と呼ばれていた。
[編集] 歴史
コンゴ川流域は、紀元前2000年ごろには狩猟採集民であるピグミーが広く分布していたと考えられている。その後、現在のカメルーン南部周辺を起源とするバントゥー系の住民が大拡張を開始し、紀元前1120年ごろにはそのうちの西バントゥー系がコンゴ川流域に到達。紀元1年前後にはコンゴ川流域に広く居住するようになった。西バントゥー系は食料作物としてヤムイモとアブラヤシを持ち、焼畑をおこなった。また鉄器製造技術を持ち、これを使って密林の奥へと勢力を拡大していった。紀元1年ごろには、いったんアフリカ大陸東部へと移住した東バントゥー系がコンゴ川流域への入植を開始した。彼らはソルガムやシコクビエといった穀物の栽培技術を持ち、密林よりもサバンナなどの開けた土地を好んだため、西バントゥー系とのすみわけに成功し、両者はやがて混じりあって行った。また、彼らによって5世紀頃にアジアからバナナの栽培技術がもたらされる。バナナはヤムイモより栽培しやすく、生産性も非常に高かったため、コンゴ川流域に瞬く間に広がっていった[2]。
しかしながら、コンゴ川流域、特に中流域には広大な領域国家は成立しなかった。わずかに、河口域にコンゴ王国などが、最上流域にルバ王国とルンダ王国などが成立したに過ぎない。これらの王国はインド洋からアフリカ内陸部へといたる交易ルートを力の源泉としていた。
この状況が変化するのは、ポルトガルが大西洋を南下し、この地域へと到達した時である。1482年、ポルトガル人のディオゴ・カンがコンゴ王国へと到達し、ポルトガルとコンゴとの間に交易が開始された。両国の関係は当初対等で互恵的なものであったが、やがてヨーロッパ世界で奴隷の需要が激増するに従い、奴隷を大量に移出したコンゴ王国の力は弱まっていった。一方で、ヨーロッパ世界との接触は西方への交易ルートが開けたことを意味し、コンゴ川流域は次第に西のポルトガル・ヨーロッパの交易圏か、東のインド洋・アラブの交易圏へと組み込まれていった。しかし、ヨーロッパ人はリビングストン滝の急流に、アラブ人は東岸からの距離に、それぞれ阻まれて、コンゴ川中上流域へと到達することはできなかった。
ヨーロッパ人との接触によって、1600年ごろにはコンゴ川流域に新大陸原産のキャッサバが持ち込まれた。これはバナナよりさらに手間がかからず、さらにやせた土地でもよく生育したため、キャッサバの導入は再びこの地域に農業革命をもたらした。
19世紀にはいると、内陸部にも海岸部の勢力が入り込んでくるようになった。オマーンのサイイド・サイードはインド洋のザンジバルに拠点を置き、内陸部との交易に力を入れた。このため、ティップー・ティプなどのアラブ人商人がコンゴ川中流域へと入り込むようになった。1874年にはヘンリー・モートン・スタンリーが流域全体の探検を行い、1877年に河口に到達。流路がヨーロッパ人にほぼ知られるようになった。その後、スタンリーはベルギー国王レオポルド2世の支援を得て再度この地域を探検する。この探検の結果、コンゴ川流域のかなりの部分は1882年にコンゴ国際協会の勢力範囲となり、1885年にはベルリン会議においてコンゴ自由国として正式にレオポルド2世の私領となった。しかし、コンゴ自由国では象牙やゴムの採取のための強制労働がおこなわれ、非常な暴政が敷かれたため国際的な批判を浴び、1908年にはベルギー領へと移管された。
一方、スタンリーとほぼ同時期に、ピエール・ブラザもフランス政府の支援を受けてまたコンゴ川流域を探険していた。この探険の成果などを元に、現在のコンゴ共和国や中央アフリカ共和国など流域の北部や西部はフランス領となった。
植民地時代には、両国政府は産業開発を積極的におこなった。マレボ湖に面し、ブラザとスタンリーがそれぞれ建設したブラザヴィルとレオポルドヴィル(現キンシャサ)はコンゴ川を利用した内陸水運の結節点として開発が進められ、1898年にはレオポルドヴィルとマタディを結ぶマタディ・キンシャサ鉄道が、1934年にはブラザヴィルとポワントノワールを結ぶコンゴ・オセアン鉄道がそれぞれ開通し、内陸の産物を両都市に集積して海港へと輸送し輸出する体制が整えられた。
1960年、ベルギー領はコンゴ民主共和国として、フランス領はコンゴ共和国や中央アフリカ共和国として、それぞれ独立を果たした。
[編集] 経済
世界第2位の巨大な流量を持ち、さらに流量の季節変動がほとんどないため、電力の端境期のない良質の水力発電源として古くから注目されてきた。特に注目されたのは、リヴィングストン滝下流にあるインガ急流である。12kmの間に96mも高度を下げるこの急流で、1920年代にはすでに建設計画が持ち上がり、1957年に調査が開始された。1961年のコンゴ動乱によって一時計画は中断したものの、1966年にはモブツ・セセ・セコ政権によりリビングストン滝にインガ・ダムが建設が開始され、1974年には第1次及び第2次計画が完成し、以後のザイール(現コンゴ民主共和国)の主要な電力供給源となっている。しかし、資金不足及びモブツ政権の乱脈によって第3次計画は実施されず、また電力も計画上の数値の40%である700メガワットしか生産されていない。また、長大な送電線によって産業地帯である南部のカタンガに電力は送られているものの、それと首都キンシャサ以外の地域には電力は供給されず、コンゴ民主共和国国内では深刻な電力不足が起きている。しかし、送電線がカタンガを通って大陸南端のケープタウンまでつながっているため、近年電力不足が叫ばれている南アフリカ共和国などアフリカ南部諸国がコンゴ川の発電に注目しており、2004年には44,000メガワットの発電施設を建設するウェスタン・パワー・コリドー計画が発表された。
[編集] 交通
交通インフラが未発達なコンゴ民主共和国や周辺諸国にとって、高低差がなく水深の深いコンゴ川は重要な河川交通路となっている。中部アフリカ最大の都市であるコンゴ民主共和国の首都キンシャサはこの河川交通網の結節点として建設され、ここを起点に中央アフリカ共和国の首都バンギやコンゴ中部の大都市キサンガニ、カサイ州やカタンガへの玄関口であるイレボなどにオナトラ社などの定期船や貨物船が就航しており、同国の大動脈となっている。キサンガニとウブンドゥの間の急流には迂回路として鉄道が敷かれ、ウブンドゥからキンドゥまでは再び船舶輸送が中心となる。舟運によってキンシャサに集められた貨物は、リビングストン滝を迂回するマタディ・キンシャサ鉄道によって海岸から120km上流にあるマタディへと運ばれる。マタディからボマをとおり河口までの間は再び航行が可能になり、外洋船舶も遡上可能であるため、河港マタディはコンゴ民主共和国の主要貿易港となっている。また、同様にコンゴ共和国の首都ブラザヴィルも同じ機能を持ち、コンゴ・オセアン鉄道によって海港ポワントノワールへと連絡している。また、海を持たない中央アフリカ共和国においてはコンゴ川の支流ウバンギ川は唯一の外国貿易ルートとして非常に重要であり、大型船の入れる同国唯一の港である首都バンギは内陸港であるにもかかわらずもっとも重要な輸出港となっている。