コロンブス交換

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コロンブス交換(コロンブスこうかん、Columbian Exchange)は、1492年から続いた東半球と西半球の間の植物動物食物人口奴隷を含む)、病原体鉄器、思考の甚大で広範囲にわたる交換を表現する時に用いられる言葉。1492年のクリストファー・コロンブスの「新世界」への到達にちなみ、この名称が用いられる。

コロンブス交換の概念はアメリカの歴史学者アルフレッド・クロスビーによって提唱された[1]。クロスビーは「著しく異なるふたつの世界はその日を境にそっくりになった。生物学上の均質化が進んだことは、大陸氷河の後退以来、地球の生命史において重要な現象のひとつに数えられる」と述べている[1]

交換の例[編集]

トウモロコシを貯蔵するアステカ王国の人びと
アイルランドジャガイモ飢饉1849年

コロンブス交換は地球のあらゆる社会に影響を与え、また多くの文化を絶滅させ、新種の作物と家畜を循環させ、長い目で見ると、世界の人口を減少させるよりもむしろ増大させた。トウモロコシジャガイモは18世紀のユーラシア大陸では非常に重要な作物となり、トウモロコシは日本に届くまで1世紀を必要としなかった。ラッカセイキャッサバは、東南アジアや西アフリカで栽培されるようになった。

この植物と動物の交換はヨーロッパ、アメリカ、アフリカアジアの生活様式を変えた。以前は見たことのない食物が食され、新しい農作地帯が耕作された。元来は南アメリカ以外では存在しなかったジャガイモだが、コロンブス以降は世界各地に伝播し、特に北ヨーロッパでは冷涼な気候を生かして大々的に栽培された。1840年代のアイルランドではジャガイモが主食級の扱いを受けている。しかし食生活をジャガイモに依存しすぎたため、のちにジャガイモの疫病に端を発するジャガイモ飢饉で大打撃を受けた。18世紀にスペイン人によって現在のメキシコに持ち込まれたウマは、アメリカ北西部の多くのインディアンによって使役され、移動や運搬に広く使用された。また、トマトソースはイタリア料理の象徴になり、アフリカのコーヒーやアジアのサトウキビはアメリカにおいて主要な作物になっている。

19世紀に入っても、北米のインディアンは石器を使用していた。ここにヨーロッパ白人が鉄器を持ち込んだため、トマホークに転用され、対白人入植者や部族間の抗争を激化させた。同じくも部族間の勢力争いを激化させ、白人によるインディアンに対する民族浄化にも活用された。ウィスキー)は、インディアンを酔わせて土地の譲渡書類に署名させるためにさかんに使われた。酒造文化のなかった北米のインディアンやエスキモーは、酒で骨抜きにされ、たやすく土地を奪われていった。21世紀の今日も、アルコール依存症は彼らの社会全体を覆う深刻な問題となっている。

コロンブス交換の比較[編集]

コロンブス交換における有機物の分配の比較
旧世界(が持っていたもの) 新世界(が持っていたもの)
家畜
植物
感染症

脚注[編集]

  1. ^ a b ルース・ドフリース(小川敏子訳)『食糧と人類:飢餓を克服した大増産の文明史』日本経済新聞出版社、2016年、pp.122-130.

参考文献[編集]

関連項目[編集]