コルネリウス・グルリット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
コルネリウス・グルリット
Cornelius Gurlitt
}
基本情報
出生 1820年2月10日
プロイセン王国(現ドイツの旗 ドイツ)、アルトナ(現ハンブルク
死没 1901年6月17日(満81歳没)
プロイセン王国(現ドイツの旗 ドイツ)、アルトナ(現ハンブルク)
職業 作曲家

コルネリウス・グルリット(Cornelius Gurlitt, 1820年2月10日 - 1901年6月17日)は、ドイツ作曲家

プロイセンアルトナに生まれ、カール・ライネッケの父親に音楽を学ぶ[1]。後にライプツィヒ音楽院で、カール・ライネッケの同級生になる。17歳で公開演奏を行い、そのときの評価によってコペンハーゲンに赴くことになる。同地でもヴァイセ(da:C.E.F. Weyse)らにピアノオルガン作曲を師事、またニルス・ゲーゼの面識を得て、生涯の親交を結んだ。1842年よりコペンハーゲン近郊のヒルシュホルム(da:Hørsholm)に4年間滞在。その後ライプツィヒに戻り、それから兄ルイスが絵を学んでいたローマに渡る。聖チェチーリア音楽アカデミーより名誉会員に選ばれ、1855年に音楽教授の称号を得て同アカデミーを終了。アルトナに戻り、アウグステンブルク公の3人の姫君の家庭教師を務め、1849年デンマークとプロイセン、オーストリアとの間でシュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争が勃発すると、デンマーク陸軍軍楽隊の指揮者を務めた。

歌曲やピアノ曲から、カンタータ歌劇交響曲までおびただしい数の作品を残しているが、今日ではピアノの初心者のために書かれた、サロン・ピースの形をとる一連の練習曲がかろうじて知られているに過ぎない。ほかに「おもちゃの交響曲」や6手のためのピアノ曲など。

オペラ作曲家で指揮者のマンフレート・グルリットの大叔父にあたる[1]

脚注[編集]

[ヘルプ]