コソボの戦い
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コソボの戦い(Косовска битка)は1389年にコソボ(現セルビア共和国コソボ自治州)で勃発した、セルビア王国とオスマン帝国による会戦である。
[編集] 経過
1389年の6月28日、コソボ平原で、セルビア王ラザル・ボスニア王トヴルトコ・ワラキア大公ミルチャなどからなるバルカン半島の諸侯軍が、アジアからの勢力を伸ばしつつあったムラト1世率いるオスマン帝国軍と会戦した。戦いはオスマン帝国軍の大勝に終わった。
[編集] 影響
この戦いの結果、オスマン帝国はドナウ川以南の支配権を確立しセルビア・マケドニア・ブルガリアはオスマン帝国への服従を強いられる。この戦いでオスマン帝国はバルカン半島征服に大きな成果を獲得した。 ところが、ムラト1世はセルビア貴族ミロシュ・オビリッチ(コビリッチ、コビロヴィッチとも)の謁見の際に刺し殺されしまう。そしてオスマン軍は報復に捕虜のセルビア王ラザルを殺害。すぐにバヤズィト1世がスルタンに即位。バルカン征服事業を継承する。
戦地となったコソボはセルビア王国の聖地となった。のち、1980年代にセルビア民族主義を掲げるミロシェビッチが台頭すると、コソボの自治権を大幅に制限し、クロアチア・ボスニア・ヘルツェゴビナなどで難民となったセルビア人を入植させる政策がとられた。このためコソボでの民族バランスが大きく崩れることとなり、1990年代後半のコソボ紛争へとつながっていった。

