コスタス・シミティス
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コスタス・シミティス
Κωνσταντίνος Σημίτης |
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第180代 ギリシャ首相
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| 任期 1996年1月22日 – 2004年3月10日 |
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| 大統領 | コンスタンティノス・ステファノプロス |
| 前任者 | アンドレアス・パパンドレウ |
| 後任者 | コスタス・カラマンリス |
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第2代 全ギリシャ社会主義運動党首
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| 任期 1996年6月30日 – 2004年2月8日 |
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| 前任者 | アンドレアス・パパンドレウ |
| 後任者 | ゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウ |
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産業・エネルギー・研究技術大臣
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| 任期 1993年10月13日 – 1995年9月15日 |
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| 前任者 | ヴァシレイオス・コントギアノプロス |
| 後任者 | アナスタシオス・ペポニス |
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貿易大臣
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| 任期 1993年10月13日 – 1995年9月15日 |
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| 前任者 | ヴァシレイオス・コントギアノプロス |
| 後任者 | ニコラオス・アクリティディス |
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教育・宗教大臣
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| 任期 1989年11月23日 – 1990年2月13日 |
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| 前任者 | コンスタンティノス・デスポトプロス |
| 後任者 | コンスタンティノス・デスポトプロス |
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経済大臣
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| 任期 1985年7月26日 – 1987年11月27日 |
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| 前任者 | ガラシモス・アルセニス |
| 後任者 | パナギオティス・ルメリオティス |
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農業大臣
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| 任期 1981年10月21日 – 1985年7月26日 |
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| 前任者 | アタナシオス・カネロプロス |
| 後任者 | イオアニス・ポッタキス |
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| 出生 | 1936年6月23日(76歳) ギリシャ、ピレウス |
| 国籍 | ギリシャ |
| 政党 | 全ギリシャ社会主義運動 |
| 配偶者 | ダフニ・シミティス(旧姓アルカディウ) |
| 子女 | フィオナ・シミティス マリレナ・シミティス |
| 母校 | フィリップ大学マールブルク ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス |
| 専業 | 国会議員 大学教授 経済学者 弁護士 作家 |
| 信仰 | ギリシャ正教会 |
| ウェブ サイト |
www.costas-simitis.gr |
コンスタンティノス・シミティス(ギリシア語: Κωνσταντίνος Σημίτης、英: Konstantinos Simitis)は、ギリシャの政治家。通常はコスタス・シミティス(Costas Simitis、Kostas Simitis)と略されて呼ばれる。全ギリシャ社会主義運動(PASOK)党首として、1996年から2004年にかけ首相を務めた。
経歴 [編集]
コスタス・シミティスはピレウスでアテネ経済ビジネス大学教授のゲオルギオス・シミティスと妻ファニ(旧姓クリストプル)との間に生まれた。ドイツのフィリップ大学マールブルクで法学を、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで経済学をそれぞれ学んだ。ダフネ・アルカディウと結婚し、フィオナとマリレナの二人の娘をもうけた。現在はアテネのコロナキ地区に住んでいる。兄弟のスピロスはドイツで情報プライバシーのジャーナリストとして活動している。
ギリシャに帰国した1965年、シミティスは「アレクサンドロス・パパナスタシウ政治研究グループ」の設立者の一人になった。このグループは1967年4月21日の軍事クーデターに「民主防衛」と改称し、反軍事政権を訴えた。アテネの通りの植木に爆弾を仕掛け、海外に亡命し、アンドレアス・パパンドレウ率いるパンヘレニック解放運動(PAK)に入党。ドイツの大学で講師に就いた。1974年にアテネに帰還し、PAKの後継政党「全ギリシャ社会主義運動」(PASOK)を共同設立。1977年にアテネのパンテイオン大学(en)講師になった。
1981年の総選挙へは出馬しなかったが、同年成立したPASOK政権で農業大臣に任命された。1985年の総選挙には立候補し当選、経済大臣を務めたが、インフレ抑制や赤字削減などの財政安定化政策は国民に支持されず、1987年に辞任した。1993年には商工業大臣に就任したが1995年に辞任し、同時に党の執行部からも抜けた。
1996年1月16日、パパンドレウが健康上の理由で首相を辞任。これを受け党会派の1月18日の緊急選挙で、シミティスはアキス・ツォチャトゾプロス、ゲラシモス・アルセニス、イオアニス・チャラランポプロスの三氏を押さえ首相に当選した。しかし、パパンドレウは6月23日に死ぬまで党首であり続けた。パパンドレウが死ぬと、新党首を選ぶ会合が開かれた。6月30日の第4回会合でシミティスが党首に選出された。対抗馬のアキス・ツォチャトゾプロスは欧州連合が支援していた。
シミティスは同年9月22日の総選挙で勝利し、2000年の総選挙でも辛うじて勝利した。欧州では広く支持されたが、国内ではいくらかのギリシャ人によりつまらないテクノクラートと見做され、パパンドレウのようなカリスマ性に欠けていた。
PASOK人気が凋落していた2004年1月7日、シミティスは次期議会選挙まで耐えられないだろうとして首相を辞任する考えを表明した。政界を勇退することで、世論の風当たりをかわそうというねらいだった。3月10日の任期満了まできっちり務め、首相在職期間は8年間とギリシャ史上最長だった。辞任表明の翌日、シミティスは次期党首を選出する選挙を2月8日に行うと発表。選挙ではゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウ外務大臣が無投票で選出された。パパンドレウは国民的人気があったが、3月7日の総選挙でPASOKは新民主主義党に敗れ、コスタス・カラマンリス政権が発足した。
外部リンク [編集]
- 本人のウェブサイト (ギリシャ語)
- 北大西洋条約機構(NATO)ウェブサイト内のプロフィール (英語)
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: アタナシオス・カネロプロス |
農業大臣 1981年 - 1985年 |
次代: イオアニス・ポッタキス |
| 先代: ガラシモス・アルセニス |
経済大臣 1987年 - 1989年 |
次代: パナギオティス・ルメリオティス |
| 先代: コンスタンティノス・デスポトプロス |
教育・宗教大臣 1989年 - 1990年 |
次代: コンスタンティノス・デスポトプロス |
| 先代: ヴァシレイオス・コントギアノプロス |
産業・エネルギー・研究技術大臣 1993年 - 1995年 |
次代: アナスタシオス・ペポニス |
| 先代: アンドレアス・パパンドレウ |
ギリシャ首相 1996年 - 2004年 |
次代: コスタス・カラマンリス |
| 先代: アナス・フォー・ラスムセン |
欧州理事会議長 2003年上半期 |
次代: シルヴィオ・ベルルスコーニ |
| 党職 | ||
| 先代: アンドレアス・パパンドレウ |
全ギリシャ社会主義運動(PASOK)党首 1996年 - 2004年 |
次代: ゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウ |