ゲーリー・ジョンソン (アメリカンフットボール)

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ゲーリー・ジョンソン

Gary Johnson  No. 72, 79, 97

ディフェンシブタックル
生年月日:1952年8月31日
没年月日:2010年8月4日(満57歳没)
出身地:アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ルイジアナ州シュリーブポート
身長:6' 2" =約188cm 体重:257 lb =約116.6kg
NFLデビュー
1975年サンディエゴ・チャージャーズ
経歴
大学グランブリング州立大学
NFLドラフト1975年 / 1巡目(全体の8番目)
 所属チーム:
通算成績
(1985年までの成績)
出場試合数     157試合
QBサック     72.5回[1]
インターセプト     2回
NFL.comよりの成績
受賞歴・記録
  • プロボウル選出4回:(1980年-1983年)
  • オールプロ選出2回:(1980年-1981年)
  • オールルーキーチーム:(1975年)
カレッジフットボール殿堂入り

ゲーリー・ジョンソン(Gary "Big Hands" Johnson、1952年8月31日 - 2010年8月4日)はルイジアナ州シュリーブポート出身のアメリカンフットボール選手。1975年から1985年までの11シーズンNFLでプレーした。ポジションはディフェンシブタックルニックネームはビッグハンズ[2]

経歴[編集]

グランブリング州立大学時代にはハイズマン賞の選考でバート・ジョーンズより上位の3位となった[1]

1975年のNFLドラフト1巡目全体8位でサンディエゴ・チャージャーズに指名されて入団しその年のNFLオールルーキーチームに選ばれた。1980年には17.5サックをあげたがこの記録は今でもチャージャーズのチーム記録として残っている。この年チームは同じ1975年ドラフト組のフレッド・ディーンルイ・ケルチャーらで合わせてNFLトップの60サックをあげ、ジョンソンとディーンはオールプロファーストチームに、ケルチャーもセカンドチームに選ばれた。この3人にリロイ・ジョーンズを加えたフロントラインは当時人気だったブルース・ブラザーズ(The Blues Brothers)にならって、Bruise Brothers と呼ばれた[3]

1981年もオールプロファーストチーム、1982年にはオールプロセカンドチームに選ばれプロボウルには1980年から1983年まで4年連続選出された。チャージャーズはドン・コリエルヘッドコーチに率いられた1979年から1981年まではAFC西地区で3年連続優勝、1982年もプレーオフ出場を果たした。1984年シーズン途中にサンフランシスコ・フォーティナイナーズにフレッド・ディーンとともに移籍、第19回スーパーボウルマイアミ・ドルフィンズダン・マリーノを抑え、優勝を味わった[1]。1985年まで現役としてプレーした。

現役時代、72.5サック、インターセプトで2回、ファンブルリカバーで1回、合計3回タッチダウンをあげた。また2度セイフティを記録している[1]

1997年にカレッジフットボール殿堂、1999年にサンディエゴ・チャージャーズ殿堂入りを果たした。

2010年7月に脳卒中で倒れ同年8月4日亡くなった[4]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d Gary "Big Hands" Johnson”. ルイジアナ州スポーツ殿堂. 2013年1月30日閲覧。
  2. ^ Jerry Magee (2007年2月12日). “You gotta hand it to legendary Johnson”. サンディエゴ・ユニオン=トリビューン. 2013年1月30日閲覧。
  3. ^ No. 16: Chargers' best draft class”. ESPN (2009年3月28日). 2013年1月30日閲覧。
  4. ^ 元チャージャースの“ビッグハンズ”が死去”. NFL JAPAN (2010年8月5日). 2010年8月5日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

先代:
ボー・マシューズ
ドン・グッド
サンディエゴ・チャージャーズ
ドラフト1巡指名
1975年
次代:
マイク・ウィリアムズ