ゲーザ2世
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ゲーザ2世 (II. Géza、1130年 - 1162年5月31日)は、ハンガリー王及びクロアチア王。父ベーラ2世が亡くなってわずか3日後に即位したが、幼少のため母イロナが摂政を務めた。1156年東ローマ帝国皇帝マヌエル1世が差し向けた、アンドロニコス・コントステファノス率いる討伐軍に敗北し、息子であるベーラ3世を人質に差し出し東ローマの宗主権を認めることになってしまった。この現状を打開するために、神聖ローマ帝国と結ぼうとしたが、結局死ぬまで東ローマの介入に苦しめられた。
子女 [編集]
1146年、キエフ大公女エウフロシネ(ムスチスラフ1世の娘)と結婚。
- イシュトヴァーン3世(1147年-1172年)
- ベーラ3世(1148年-1196年)
- エルジェーベト(1149年-1189年以降) - ボヘミア公ベドジフ妃
- ゲーザ(1150年-1210年以降)
- オドラ(生没年不詳) - ボヘミア公スヴァトプルク妃
- イロナ(1158年-1199年) - オーストリア公レオポルト5世妃
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