ゲザ・ジチー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
Flag of Hungary.svg この項目では、ヨーロッパ風の表記法に従い、名前を名姓順で表記していますが、ハンガリー語圏の慣習に従いジチ・ゲーザと表記することもあります。
ゲザ・ジチー

ゲーザ・ジチGéza Zichy [ˈɡeːzɒ ˈzitʃi], *1849年7月22日 オーストリア=ハンガリー帝国領スターラ(現スロバキア領スタレー) – †1924年1月14日 ブダペスト)は、ハンガリー作曲家隻腕ピアニスト

略歴[編集]

ヴァーショニ=ケオ伯爵の称号を有する貴族のジチー家(Graf Zichy zu Vásony-Keö)に生まれる[1]。少年時代にフランツ・リストピアノを学んで音楽の学習を始めるが、不幸にして14歳の時に狩猟の際の猟銃の暴発事故で右手を失う。それでも左手のためのピアノ曲を作曲して演奏することにより、ピアニストとして立つ決心を固め、ピアノをリストに、作曲をローベルト・フォルクマンに師事して学業を終えた。リストは、自作を左手用に編曲して彼に献呈した。

1890年よりピアニストとして国際的に活躍し、音楽評論家のエドゥアルト・ハンスリックなどから称賛された。

1875年から1892年までハンガリー王立音楽院(現リスト・フェレンツ音楽大学)の院長を務めるかたわら、1891年から1894年までブダペスト歌劇場の監督を務めた[2](当時の同歌劇場の楽長グスタフ・マーラーであった)。

6つのオペラ(大成功を収めた「ラーコーツィ三部作」を含む)のほかに、カンタータ《ドローレス》(Dolores)やバレエ音楽《ジェマ》(Gemma)、左手のためのピアノ協奏曲(史上初とされる)や左手のための練習曲歌曲を遺した。3巻からなる自叙伝も上梓している。

従兄のミハーイ・ジチー(1827年 – 1906年)は画家として名を挙げた。

セオドア・イーデルは著書『片手のためのピアノ曲』において、まるまる1章をジチに割いている。

主要作品一覧[編集]

歌劇[編集]

  • A vár története (1888)
  • Alár (1896)
  • Roland mester (1899)
  • Nemo (1905)
  • Rákóczi Ferenz (1909)
  • Radostó (1912)

ピアノ曲[編集]

註記[編集]

  1. ^ http://opera.stanford.edu/composers/Z.html
  2. ^ http://www.dolmetsch.com/cdefsz.htm

参考文献[編集]

外部リンク[編集]