ゲオルク・アレクサンダー・ツー・メクレンブルク

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ゲオルク・アレクサンダー・ヘルツォーク・ツー・メクレンブルク(Georg Alexander Herzog zu Mecklenburg, 1921年8月27日 - 1996年1月26日)は、メクレンブルク=シュトレーリッツ大公家家長(1963年 - 1996年)。全名はゲオルク・アレクサンダー・アンドレアス・カール・ミヒャエル・ペーター・フィリップ・イグナティウス・マリア (Georg Alexander Andreas Carl Michael Peter Philipp Ignatius Maria)。メクレンブルク=シュトレーリッツ大公ゲオルクの玄孫。

カーロウ(カルロフ)伯ゲオルクとその最初の妻イリナ・ミハイロヴナ・ライェフスカヤの長男として、フランスニースで生まれた。父のゲオルクは1928年、叔父のメクレンブルク=シュトレーリッツ家家長カール・ミヒャエルの養嗣子となり、「メクレンブルク公」の称号を名乗った。カーロウ伯爵家の「メクレンブルク公」への昇格は、1929年にロシア帝室家長キリル・ウラジーミロヴィチ大公、およびメクレンブルク=シュヴェリーン元大公フリードリヒ・フランツ4世の承認を受けた。

1934年に父がメクレンブルク=シュトレーリッツ家家長位を継ぐと、ゲオルク・アレクサンダーはその推定相続人となった。1940年4月、ナチス政府の扇動によってレンプリン (enにあった大公家の居城は放火され、焼失した。第2次世界大戦末期、ゲオルク・アレクサンダーは父とともにゲシュタポに拘束された。

ゲオルク・アレクサンダーはフライブルク大学で法学を専攻し、その後銀行業務を学んだ。1950年12月18日にメクレンブルク=シュヴェリーン大公家が父ゲオルクをメクレンブルク=シュトレーリッツ大公家家長として認めると同時に、ゲオルク・アレクサンダーとその家族は「カーロウ伯爵」の称号を使うのを止めた。ゲオルク・アレクサンダーは一時アイルランドに居住し、家族の持つ多くの財産を管理していた。ドイツへの帰国後は、20年のあいだ広告会社に勤務した。

1963年7月6日に父が死ぬと、ゲオルク・アレクサンダーはメクレンブルク=シュトレーリッツ大公家家長の地位を継いだ。1990年、ゲオルク・アレクサンダーはメクレンブルクに帰り、地元政府から大公家のかつての居城の一つミロウ (en城の一角を邸宅として提供され、同時に荒れ果てたミロフ城の修復作業に協力した。アレクサンダーは1996年にミロウで亡くなり、家長位は長男のボルヴィンに受け継がれた。

結婚と子女[編集]

1946年4月30日にジクマリンゲン (enでオーストリア大公女イロナ(1927年 - )と民事婚および宗教婚を執り行った。イロナはハプスブルク=ロートリンゲン家のうちハンガリー宮中伯 (enを務めた家系の出身で、オーストリア大公ヨーゼフ・アウグストの孫娘である。ゲオルク・アレクサンダーとイロナは一男三女をもうけたが、1974年12月12日に離婚した。

  • エリーザベト・クリスティーネ(1947年 - ):1974年にブッシェ=イッペンブルク男爵アルハルトと結婚、1997年に離婚
  • マリー・カタリーナ(1949年 - ):1978年、ヴォルグガング・フォン・ヴァシェレフスキと結婚
  • イレーネ(1952年 - ):1979年にコンスタンティン・ハームセンと結婚
  • ボルヴィン(1956年 - ):1985年、アリーツェ・ヴァーグナーと結婚

外部リンク[編集]

先代:
ゲオルク
〈名目上〉メクレンブルク=シュトレーリッツ大公
メクレンブルク=シュトレーリッツ家家長

1963年7月6日 - 1996年1月26日
次代:
ボルヴィン