ゲイリー・キルドール

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λゲイリー・キルドール(Gary Kildall、1942年5月19日 - 1994年7月11日)は、オペレーティングシステムCP/Mで知られるデジタルリサーチ社の創業者。実業家及び大学教授。

経歴[編集]

1972年ワシントン州ワシントン大学より計算機科学の博士号を受けた。その後モントレーにあるNaval Postgraduate School(アメリカで唯一の海軍大学院大学)の教授を務め、その間にインテル4004/8008用のプログラミング言語であるPL/Iをインプリメントし、PL/Mと名付けた。その開発環境の研究も行い、それがCP/Mとなった。 1976年CP/Mの開発の継続と販売のためデジタルリサーチ社を設立した。従来にない革新的な機能を持ったCP/Mは爆発的に売れ、設立後わずか数年でデジタルリサーチ社は急成長を遂げたことで巨万の富を手にした。 しかしCP/MのIBM PCへのインプリメント契約を行き違いで逃し、千載一遇のチャンスをビル・ゲイツPC DOSに取られてしまった。契約に失敗しさえしなければ、ビル・ゲイツ以上の成功を収めていただろうと言われている。

IBM PCを巡る経緯でよく知られているのは、CP/Mの8086版を開発させようとIBMのジャック・サムズが面会に来た時に、いつものように自家用飛行機を飛ばしに行って不在だったため、共同経営者である妻が秘密保持契約にサインしなかった、このため巨万の富を得損ねた。というが、実際には交渉面で折り合いがつかなかったという説もある。またQDOSにCP/Mのコードが含まれていたことを知って、IBMから和解金を得ており、IBMにCP/Mの8086版(CP/M86)を売り込んでいる。ただしIBMがCP/M86とPC DOSの価格設定に差をつけたため、あまり売れなかったという。

NHKスペシャル新・電子立国』取材班のインタビューに応じ「ハードがほしいからソフトを書くのさ」と語った翌日、モントレーにあるレストランで頭部を負傷し、3日後に亡くなった。解剖の結果、死因は鈍的外傷であった [1][2]。負傷の理由は椅子から落ちたとか、階段で転んだ、または何者かに襲われたといった説があり、後半生ではアルコール問題を抱えていた[3][4] ともいわれているが、詳しくは分かっていない。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Markoff, John (1994年7月13日). “Gary Kildall, 52, Crucial Player In Computer Development, Dies”. New York Times: p. D19. http://select.nytimes.com/gst/abstract.html?res=F00B10F7395B0C708DDDAE0894DC494D81&n=Top 
  2. ^ Kirkpatrick, Don (1999年1月12日). “comp.os.cpm Frequently Asked Questions (FAQ)”. 2006年11月20日閲覧。
  3. ^ “The Man Who Could Have Been Bill Gates”. http://www.businessweek.com/magazine/content/04_43/b3905109_mz063.htm 
  4. ^ Rivlin, Gary (1999). The Plot to Get Bill Gates.