京福電気鉄道鋼索線

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鋼索線
(叡山ケーブル)
叡山ケーブルの車両
叡山ケーブルの車両
路線総延長 1.3 km
軌間 1067 mm
停車場・施設・接続路線
STR
叡電叡山本線
KBHFe
八瀬比叡山口駅
KBHFa
0.0 ケーブル八瀬駅
SPLa FUNI
SPLe
KBHFe uKBHFa
1.3 ケーブル比叡駅
uSTR
ロープ比叡駅
AETRAM uSTR
叡山ロープウェイ
uKBHFe
比叡山頂駅

鋼索線(こうさくせん)は、京都府京都市左京区ケーブル八瀬駅からケーブル比叡駅に至る京福電気鉄道ケーブルカー路線。

叡山ケーブル(えいざんケーブル)と通称されている。叡山電鉄叡山本線叡山ロープウェイとともに京都市内から比叡山山頂へのルートを形成する。高低差は561 mあり、ケーブルカーとしては日本最大である。

路線データ[編集]

  • 路線距離(営業キロ):1.3 km
  • 軌間:1,067 mm
  • 駅数:2駅(起終点駅を含む)
  • 高低差:561 m
  • 最大勾配:530
  • 最小勾配:215 ‰
  • 平均勾配:413 ‰

運行形態[編集]

平日は20分 - 30分間隔の運行で所要時間は9分。土曜日・休日および多客期には増便される。

1月1日から3日の正月三が日延暦寺への初詣客のために特別運行するが、それ以外の冬期は2006年12月より叡山ロープウェイとともに運休するようになった(なお、2014年は保守工事を理由として正月の運行は行われなかった)。その期間内に鉄道系交通機関で比叡山を目指すには、大津側からのルートである通年営業の坂本ケーブルを利用することになる。

車両[編集]

旅客用はケ型2両 (1, 2) が在籍する。同形は1987年武庫川車両工業で製造された。また、貨車としてケト101がある。

ケ型諸元[編集]

  • 空車重量 11.24 t
  • 定員 136人(座席定員34人・最大乗車人員137人)
  • 最大寸法 長さ12000 mm・幅2780 mm・高さ3630 mm

過去の車両[編集]

  • 1・2(初代)開業時に用意された車両は車台製作がスイスのテオドルベル、車体は日本車輌製造が製造した。3・4 の入線により予備車となり、後に改造されて 1・2(2代目)となった。
  • 3・4 1・2(初代)と同じ車台製作がスイスのテオドルベル、車体は日本車輌製造が製造した。戦時中は荷物車に改造され機材撤去に使用されたが、その後は使用されなかった。
  • 1・2(2代目)1・2(初代)の台車などを使用して製作。1955年廃車。
  • 1・2(3代目)1955年日立製作所

歴史[編集]

  • 1922年(大正11年)11月8日 鉄道免許状下付(愛宕郡八瀬村字青良谷-同郡同村四明嶽間)[1]
  • 1925年(大正14年)12月20日 京都電燈が叡山鋼索線として西塔橋(現在のケーブル八瀬) - 四明ヶ嶽(現在のケーブル比叡)間を開業[2]
  • 1942年(昭和17年)3月2日 京福電気鉄道へ分離譲渡[3]
  • 1944年(昭和19年) 休止。
  • 1946年(昭和21年) 運行再開。
  • 1965年(昭和40年)8月1日 西塔橋駅をケーブル八瀬遊園駅に、四明ヶ嶽駅をケーブル比叡駅に改称。
  • 2002年(平成14年)3月10日 ケーブル八瀬遊園駅をケーブル八瀬駅に改称。

駅一覧[編集]

ケーブル八瀬駅 - ケーブル比叡駅

接続路線[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1922年11月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年12月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 2月10日許可「鉄道譲渡許可」『官報』1942年2月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)

参考文献[編集]

  • 国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』電気車研究会(平成18年度版)
  • 和久田康雄『私鉄史ハンドブック』電気車研究会、1993年、p.125 - 歴史節
  • 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳 9号 関西2』新潮社、2009年、p.40 - 歴史節
  • 藤原寛「京福電気鉄道」『私鉄車両めぐり特輯』第3輯、鉄道図書刊行会、1982年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]