ケシャール・ジュング・ラヤマジ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

ケシャール・ジュング・ラヤマジ(Keshar Jung Rayamajhi)はネパール政治家ネパール共産党総書記の地位にありながら、マヘンドラ国王のクーデタを支持するなど、非常に奇矯な言動の多かった人物。その言動がネパール共産党の分裂を招いた。

1957年第二回党大会でネパール共産党第3代総書記に就任。1960年マヘンドラ国王のクーデタを支持、インド共産党から批判され、また、党内から反発を受ける。1961年の政党が禁止され、ネパール共産党が弾圧されるにいたっても、国王の政治に一定の信頼を表明した。そのため路線対立が生じ、インドで中央委員会が一ヶ月も続けられた。  さらに、1964年4月、トゥルシ・ラル・アマティアは、インドで勝手に党大会を開催し、ラヤマジを除名し、自ら総書記に就任する。ラヤマジは逆にアマティアを除名した。 ネパール共産党ラヤマジ派と、ネパール共産党アマティア派への分裂である。これ以後、ネパールの共産主義政党は激しい離合集散を繰り返し、現在に至っている。

ネパール共産党ラヤマジ派は1985年に解散。その後、新党を結成し、国王から大臣に任ぜられている。