グレナード・P・リプスコム (原子力潜水艦)

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USS Glenard P. Lipscomb
艦歴
発注 1968年12月16日
起工 1971年6月5日
進水 1973年8月4日
就役 1974年12月21日
その後 原子力艦再利用プログラム
除籍: 1990年7月11日
性能諸元
排水量 水上5,813トン,
水中6,480トン
全長 111 m
全幅 9.8 m
喫水
予備浮力 11.5%
機関 原子力ターボ・エレクトリック方式
WEC S5Wa 加圧水型原子炉×1基
7翼ハイスキュード・スクリュー×1軸
12,500SHP
電池 ガピーIC型×126個1群
最大速 水上18ノット (33 km/h), 水中23ノット (43 km/h)
最大深 400 m
安全潜入深度 396m
乗員: 士官12名, 兵員109名
兵装 21インチ (533 mm) 魚雷発射管4基
魚雷ミサイル×23
Mk113 Mod8 水中射撃指揮装置
電子戦兵装 ソナー:BQQ-2B(アクティヴ/パッシヴBQS-6B、パッシヴBQR-7、氷海行動/機雷探知BQS-8)、BQG-3 PUFFS、WLR-9A
レーダー・ESM機材:BPS-15、BRD-6、WLR-4

グレナード・P・リプスコム(USS Glenard P. Lipscomb, SSN-685)は、アメリカ海軍原子力潜水艦。艦名はカリフォルニア州選出下院議員グレナード・P・リプスコム(Glenard P. Lipscomb, 1915 - 1970年)に因む。

概要[編集]

グレナード・P・リプスコムは、アメリカ海軍の潜水艦としてはタリビーに次いで2番目に、原子力ターボ・エレクトリック方式を採用した潜水艦(TEDS: Turbin Electric Drive Submarine)である。試験艦としての性格が強く同型艦は建造されていない。

原子力潜水艦で主流の機関は、原子力ギアード・タービン方式であり、原子炉2次冷却系統から得られた高圧蒸気によって蒸気タービンを回し、減速ギア・ボックスによって回転数を減速・調整してプロペラシャフトに伝え、スクリューを回して推進力を得ている。しかし、減速ギア・ボックスの複雑な機構と多くのギアの動作は、原潜にとって最大の騒音源(したがって弱点)となる。ターボ・エレクトリック方式では、2次冷却系統の高圧蒸気によってタービン発電機を回し、得られた電力で電動モーターとこれに直結されたプロペラシャフトを回して推進力を得ている。すなわち、ギア・ボックスを廃止することによる静粛化のほか、ギアード・タービン方式よりもシャフト回転数の微妙な調整が可能になることによる操艦の柔軟性が期待できるのである。

しかし、これらの利点があるにせよ、ターボ・エレクトリック方式は、電機系の増設とそれに伴う重量増大を引き受けなければならないほか、ギアード・タービン方式に比べて効率が劣るせいで速力が低下するという問題があるため、旧ソ連時代の一部の潜水艦フランス海軍の原子力潜水艦を除けば、ほとんど採用されていない。実際、本艦の建造にあたってはスタージョン級の設計が大幅に流用されたが、排水量で20%強、全長で約19mも大型化し、ただでさえパワー不足が指摘されつつあったS5W原子炉をもとにしたパワープラントを装備した本艦は、速力においてもスタージョン級に劣るものとなってしまった。

上記のような問題点に加え、複雑な機構の信頼性が不安視されたこと、ターボ・エレクトリック方式の動力プラントが効率に欠けることなどから、本艦は1985年には事実上の退役(活動停止)に追い込まれた。ほぼ同時期に、原潜の静粛化の試みとして取り組まれた兄弟分のナーワル(1969年就役)により自然循環式原子炉の技術的知見が後に生かされたのとは、まったく対照的な道筋を辿ったのである。

艦歴[編集]

グレナード・P・リプスコムは1971年6月5日コネチカット州グロトンエレクトリック・ボート社で起工する。1973年8月4日にリプスコム夫人によって命名、進水し、翌1974年12月21日にジェームズ・F・コールドウェル艦長の指揮下就役した。就役式ではメルヴィン・ライアードがスピーチを行った。

グレナード・P・リプスコムは1990年7月11日に退役し、1997年12月1日原子力艦再利用プログラムに基づきピュージェット・サウンド海軍造船所で解体された。

関連項目[編集]

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