グリーン・ハックワース

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グリーン・ヘイウッド・ハックワース(Green Haywood Hackworth, 1883年1月23日 - 1973年6月24日)は、アメリカ合衆国法律家

生涯[編集]

ケンタッキー州プレストンズバーグで、ジョナサン・T・ハックワース (Jonathan T. Hackworth) とリディア・ヘイウッド (Lydia Haywood) の長男として誕生した[1]。ハックワースは幼少時代をケンタッキー州北東部のビッグサンディー川近郊で過ごした。ヴァルパライソ大学で文学士号を取得し、ジョージ・ワシントン大学法学士号を取得した。ハックワースはコロンビア特別区で弁護士となり、合衆国最高裁判所で勤務した[2]

1916年、ハックワースはアメリカ合衆国国務省の法務官室に、法務書記として入省した。ハックワースは法務官補として2年を過ごした。1931年7月、ハックワースは国務省において法律顧問に任ぜられた。ハックワースは1946年3月まで法律顧問を務めた[3]

1973年6月24日、ワシントンD.C.シブリー記念病院において、心臓発作で死去した[4]

参考文献[編集]

  1. ^ RootesWeb.com - HACKWORTH FAMILY
  2. ^ Whiteman, Marjorie M. "Green Haywood Hackworth: 1883-1973." The American Journal of International Law. Vol. 68, No. 1 (Jan., 1974), pp. 91-94.
  3. ^ U.S. Department of State - Legal Advisers
  4. ^ The Washington Post. Green Hackworth, Ex-International Jurist, Dies at 90. Jun 26, 1973.
公職
先代:
-
アメリカ合衆国国務省法律顧問
1931年7月1日 - 1946年3月1日
次代:
チャールズ・フェイ