グリゴリー・ロマノフ

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グリゴリー・ワシリエヴィチ・ロマノフГригорий Васильевич РомановGrigory Vasilyevich Romanov1923年2月7日 - 2008年6月3日)は、ソビエト連邦政治家ロシア人ソ連共産党政治局員書記コンスタンティン・チェルネンコ書記長の死後、ミハイル・ゴルバチョフ書記長に就任するに当たっての最大のライバルであった。なお、ロマノフは旧帝室のロマノフ家とは血縁関係にはない。

来歴・人物[編集]

1923年2月7日、ノヴゴロドの労働者の家庭に生まれる。働きながら高等学校を卒業する。高校卒業とともにソ連軍に入営し、第二次世界大戦に従軍した。戦時中の1944年ソ連共産党に入党する。1953年レニングラード造船大学夜間過程を卒業し、造船技師となる。翌1954年ジダーノフ名称造船所共産党書記に選出される。以後、レニングラードの共産党地区、市レベルの党官僚(専従職員、アパラチキ)を務める。レオニード・ブレジネフ書記長時代の1970年、レニングラード州第一書記に選出され、主としてレニングラードにおける軍事産業育成に貢献があったとされる。

1973年ソ連共産党政治局員候補に選出され、1976年政治局員に昇格する。1983年6月ユーリ・アンドロポフ書記長の下、行われた中央委員会総会の人事でレニングラード州第一書記をはずれ、党中央委員会書記(重工業担当)を兼務する。

ソ連共産党においては、政治局員と書記を兼務している者が書記長に就任する必須の資格となっていたため、ゴルバチョフとともに病弱だったアンドロポフの有力な後継者候補として浮上した。なお、この中央委員会総会前、重工業担当書記にはウラジーミル・ドルギフ政治局員候補兼書記であったが、ドルギフが人脈的にはチェルネンコ系(チェルネンコと同じシベリア出身)ということでロマノフがこの地位を得た。

1984年2月にアンドロポフが死去し、チェルネンコが書記長に選出されると、名実ともにゴルバチョフとともに次の書記長職をうかがい、保守派に接近する。1985年3月10日のチェルネンコ死去時、政治局員と書記を兼ねていたのはロマノフとゴルバチョフだけであり、ロマノフはゴルバチョフの唯一のライバルであった。しかし後継書記長選出にあたり自分の不利を悟ると、モスクワ党第一書記のヴィクトル・グリシンをかつぎ出すが政治局会議でゴルバチョフが書記長に選出されることを阻止できず、その後、ゴルバチョフによって政治局員・書記を解任され失脚した。

先代:
ワシリー・トルスチコフ
レニングラード州党第一書記
1970年 - 1983年
次代:
レフ・ザイコフ