グランド・ハーバー

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アッパー・バラッカ・ガーデンから眺めたグランド・ハーバー

グランド・ハーバー英語:Grand Harbourマルタ語: Il-Port il-Kbir)は、マルタ島の天然港。少なくともフェニキアの時代から港として使用されている。天然港は拡張されたドック埠頭で非常に改良され、堂々と防御工事を施されている。位置は北緯35度53分42秒 東経14度31分14秒 / 北緯35.89500度 東経14.52056度 / 35.89500; 14.52056イギリス統治時代からの名称グランド・ハーバーをここでは使用する。

概要[編集]

港の出口は北東の方角に開き、聖エルモ・ポイントが北の境界となっている。さらに隔てられた防波堤で守られ、リカソリ・ポイントが南の境界となっている。北西海岸はシベラス半島で、首都バレッタとその郊外フロリアナが占めている。この半島も第二の平行した天然港マルサムシェット港からグランド・ハーバーを分けている。グランド・ハーバーの主要水路は内陸のマルサへと続く。港の南東海岸は多くの入り江や岬がある。小さなリネラ湾、カルカラ湾、ドックヤード湾、フレンチ湾、そして小さな町カルカラ、スリー・シティーズ(コスピクアビルグセングレアの3都市の総称)が占めている。

マルサムシェット港とともにグランド・ハーバーは、ゆるやかに隆起する土地の中心にある。発展は2つの港一帯を成長させ、丘陵を上がる鉢型のくぼみ全体が効果的に一種のコナベーションとなっている。マルタ人口の大半がフロリアナの半径3km以内で暮らしている。ここは現在ヨーロッパ有数の人口過密地帯となっている。

ギャラリー[編集]

歴史[編集]

グランド・ハーバーは268年間聖ヨハネ騎士団マルタ騎士団)の基地であった。騎士団が島を追われた後、イギリス帝国がさらに170年間軍事基地とした。16世紀終わりにこの地で、破壊的なトルネードのため600人の死者が出て、アルマダ船舶を破壊した。港一帯は、オスマン帝国が聖ヨハネ騎士団を取り除こうとした1565年のマルタ大包囲戦の主戦場であった。第二次世界大戦中の1940年に起きたマルタ包囲戦では、一帯全部が情け容赦ない爆撃を受けた。港湾周囲のドック、軍事装備が枢軸国側の爆撃機の正当な標的だった。しかし『目的のための犠牲』(en:collateral damage)はバレッタとスリー・シティーズの大半を破壊させ、多くの民間人犠牲者を出した。

港とドックはいまも活用されているが、イギリス軍がマルタを出て行ったことでその軍事的意義を失った。マルタ貿易海運の相当な部分は、現在マルサシュロックにある新たな自由港に扱われており、20世紀前半に比べるとグランド・ハーバーはさらに静かになっている。

外部リンク[編集]