グイドバルド2世・デッラ・ローヴェレ

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グイドバルド2世・デッラ・ローヴェレの肖像(ブロンツィーノ作)

グイドバルド2世・デッラ・ローヴェレ(Guidobaldo I della Rovere, 1514年4月2日 - 1574年9月28日)は、イタリアコンドッティエーレウルビーノ公(在位:1539年 - 1574年)。

ウルビーノ公フランチェスコ・マリーア1世・デッラ・ローヴェレと、エレオノーラ・ゴンザーガフランチェスコ2世・ゴンザーガイザベラ・デステの長女)の間に生まれた。父が暗殺されると、1539年にウルビーノ公となった。

イタリア戦争の間に父がそうであったように、1546年にグイドバルドはヴェネツィア共和国の傭兵隊長となった。最初の妻ジューリア・ダ・ヴァラノと1547年に死別すると、1548年にヴィットーリア・ファルネーゼと再婚した。のち彼は教皇庁によりファノ知事に任命され、司令官の称号を授かった。1559年にスペイン王に雇われ、ベルナルド・サンセヴェリーノ(グイドバルドの娘婿)を補佐してオスマン帝国と戦った。

1573年1月、重税に堪えかねたウルビーノの住民たちが反乱を起こすと、彼は流血も辞さない弾圧で反乱を封じた。

フェラーラからペーザロへ向かう旅の途中に重病となり、急死した。

子女[編集]

カメリーノ卿の娘ジューリア・ダ・ヴァラノと間に1女をもうけた。

  • ヴィルジニア(1544年 - 1571年)

パルマ公ピエール・ルイージ・ファルネーゼの一人娘ヴィットーリアと結婚し、3子をもうけた。