グアダルーペ
| 州 | |
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| 県 | カセレス県 |
| 面積 | 68.2km² |
| 標高 | 640m |
| 人口 | 2,114人(2008年) |
| 人口密度 | 31人/km² |
北緯39度27分00秒 西経5度19分00秒 / 北緯39.45000度 西経5.31667度 |
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グアダルーペ (Guadalupe)は、スペイン、エストレマドゥーラ州、カセレス県の自治体。
目次 |
歴史 [編集]
13世紀後半または14世紀初頭、この土地において、ヒル・コルデロ(スペイン語読み正式名称)と呼ばれた羊飼いの前に、聖母マリアが出現したという古い伝説がある。
別の伝説によると、聖ルカがグアダルーペの聖母の彫像を彫り、この彫像とともにグアダルーペに埋葬されたとされている。4世紀にルカの遺体とともに彫像はコンスタンティノープルへと移された。590年、ローマ教皇グレゴリウス1世は、彫像を特別に作らせた礼拝堂へ納めた。ローマが疫病の大流行に見舞われた際には、グレゴリウス1世は聖母の彫像に取りなしを祈ったという。ペストの終焉後、人々が礼拝行進を行う一方、サンタンジェロ城の頂上に天使が姿を現し、呼びかけた。グレゴリウス1世はセビーリャ大司教レアンドロへあて、聖母の彫像を贈り物として送った。ローマからセビーリャへの途上、彫像を託された修道士イシードロは、海上で大嵐に見舞われるが聖母の庇護を受け無事にセビーリャへ到着した。レアンドロは彫像を教会祭壇に据え、彫像はイスラム教徒が侵攻してくるまで崇敬の対象となった。714年以降、イスラム侵攻から逃れようと高位聖職者たちはイベリア半島北部へ向かい、彼らは聖母の彫像や聖遺物の一部を持ち出し、グアダルーペ河岸へ隠した。グアダルーペとは、『隠された川』という意味である。一人の羊飼いが聖母マリアを幻視するまで、彫像は隠されたままであった。
グアダルーペ河岸に修道院が建てられ、周囲に人々が入植した。初めてこの定住地が歴史上で名を現すのは、アルフォンソ11世時代の1340年、タラベラ・デ・ラ・レイナの町に属していたグアダルーペが住民に与えられた時である。1347年にその名はプエブラ・デ・サンタ・マリア・デ・グアダルーペ(Puebla de Santa María de Guadalupe)の町として知られていた。1349年、王はグアダルーペの町の支配権を修道院に与えた。これは、アンシャン・レジームが崩壊しムニシピオが創設された1820年に初めて町役場が設置されるまで存続した。1834年以降、町はログロサン教区に属し、1842年の調査では700世帯・3835人が暮らしていた。
経済 [編集]
観光業が最も自治体収入の多くを占める。次いで農業(穀物、オリーブ、ワイン、野菜の生産)、畜産業である。