クープランの墓

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クープランの墓』(: Le Tombeau de Couperin)は、フランスの作曲家モーリス・ラヴェル1914年から1917年にかけて作曲したピアノ組曲。「プレリュード(前奏曲)」、「フーガ」、「フォルラーヌ」、「リゴドン」、「メヌエット」、「トッカータ」の6曲から成り、それぞれが第一次世界大戦で戦死した知人たちへの思い出に捧げられている。ラヴェル最後のピアノ独奏曲でもある。1919年に4曲を抜粋した管弦楽版が作曲者自身により作られた。

概説[編集]

ラヴェルは作風において、同じフランスの作曲家ドビュッシーと比較されることが多い。ドビュッシーと1902年に対面したラヴェル自身もドビュッシーを尊敬していたことも事実である。作曲家として駆け出しの頃はドビュッシーの影響が少なからず見られたが、次第に古典的で明確な旋律を重視し、曲の構造や様式において簡潔さを求めるようになった。特に18世紀フランスの古典的音楽に傾倒するようになった。その集大成と言っても過言ではないのがこの『クープランの墓』である。事実、ラヴェル最後のピアノ独奏曲である。

作曲の経緯[編集]

ラヴェルは非常にフランスへの愛国心が強かった。また、クラヴサン音楽の大家フランソワ・クープランを尊敬していた。そこで、フランソワ・クープランのみならず、18世紀の音楽全般に対する音楽としての捧げ物、いわゆるオマージュを書こうと思い立ち、1914年にこの曲の構想を練り始めたのである。

しかし、その直後第一次世界大戦が勃発。ラヴェル自身も野戦病院の病院車の運転手として従軍した。ようやく1916年健康を害しながらもパリに戻り、1917年除隊したのだが、その1917年1月にラヴェルの母が亡くなる。その頃のラヴェルは非常に打ち沈みながらも、母の伝えたバスク人の血というものも強く意識するようになった。しかもその上、大戦で多くのラヴェルの友人が亡くなった。彼はノルマンディーに引きこもりながら、中断したままになっていた曲をまた作曲し始めたのである。

フランスへの愛国心、大戦で散った友人達への追悼、そして母の伝えたバスクの血。ラヴェルはこれらすべてを織り交ぜて、友人達へのパセティックなレクイエムとしてこの曲を完成させ、それを通じて18世紀のフランスの音楽や伝統に敬意の念を表すことにしたのである。一つ一つの曲が『○○の追憶に』となっているのは、大戦で散った自らの友人達にそれぞれが捧げられていることを示し、またそうする事で一曲ずつ作曲するという18世紀の音楽作法にも従う形になっている。

ちなみに、「クープランの墓」という訳題は、古楽が日本で現在ほど知られていなかったために起きた誤訳で、ラヴェルは18世紀フランス音楽の伝統にさかのぼって、トンボー(Tombeau)というジャンルを復興させたのである。つまり「Tombeau de ... 」というのは、「故人を偲んで」「故人を称えて」という意味である。

1918年にデュラン社から出版。初版譜の装画と題字はラヴェル自身が筆を執った。1919年4月11日に、サル・ガルヴォーにおける独立音楽協会(SMI)の演奏会において、ピアニストのマルグリット・ロンによって初演された。ロンは、最終曲「トッカータ」を捧げられた音楽学者ジョゼフ・ドゥ・マルリアーヴと結婚していたが、戦争未亡人となっていた。

初演の後、ラヴェルを嫌う批評家が新聞に「ラヴェル作曲の『クープランの墓』は大変結構だった。だがクープラン作曲の『ラヴェルの墓』だったらもっと結構だったに違いない」と書いたというエピソードが残っている。

各曲について[編集]

プレリュード(Prelude)[編集]

ジャック・シャルロ中尉に捧げられている。ヴィフ(Vif:活発に)、ホ短調。12/16拍子。古典的な組曲の冒頭に置かれる前奏曲を範として書かれ、16分音符の無窮動的な動きが全体を支配する。頻出する装飾音符(モルデント、プラルトリラー)は拍頭で奏されるよう記譜されている。

フーガ(Fugue)[編集]

ジャン・クルッピ少尉に捧げられている。アレグロ・モデラート(Allegro Moderato:程よく快速に)、ホ短調。最後には3声がみられる。4/4拍子。フーガ形式。独特なリズムの主題を持ち、途中から反行フーガがみられる。

フォルラーヌ(Forlane)[編集]

ガブリエル・ドゥリュック中尉に捧げられている。フォルラーヌとは北イタリアを起源とする古典的舞曲のこと。アレグレット(Allegretto:やや快速に)、ホ短調。演奏所要時間がこの組曲中一番長い。6/8拍子。複合三部形式

リゴドン(Rigaudon)[編集]

ピエール&パスカルのゴーダン兄弟に捧げられている。アッセ・ヴィフ(Assez Vif:とても生き生きと)、ハ長調。2/4拍子の3部形式で、中間部は速度を落としてハ短調に転調する。リゴドンとは鐘を表す他、プロヴァンス地方に伝わる古典的舞曲の事も指す。トッカータ同様、演奏者によって演奏速度が大きく異なっており、速く弾く奏者と遅めに弾く奏者との演奏所要時間の差は最大で約1分の開きが出ることもある。

メヌエット(Menuet)[編集]

ジャン・ドレフュスに捧げられている。アレグロ・モデラート、ト長調。ラヴェルのメヌエット作品の中での最高傑作と目される[要出典]。3/4拍子。3部形式。等速92が指定されている。

トッカータ(Toccata)[編集]

先述の通り初演者であるマルグリット・ロンの夫、ジョゼフ・ドゥ・マルリアーヴ大尉に捧げられている。2/4拍子、ロンド・ソナタ形式。最初ホ短調であるが、94小節目で嬰ニ短調に転調。144小節目でホ短調に戻り、217小節目でホ長調に転調。ヴィフが指定されており、且つ等速144が指定され、トッカータらしく速く、ピアニスティックで最後に壮大な盛り上がりを見せて一気に終曲。旋律は絶えず鮮明である。同音連打を多用したピアノ曲の最高峰のひとつに位置づけられ[要出典]、ラヴェルの作曲技法が惜しむことなく注ぎ込まれている。

技術的にも困難であり、多彩な表現が盛り込まれているために、演奏者によってさまざまな解釈がなされており、演奏速度の設定からもそれを垣間見ることができる。例えば、ラヴェル自身から直接そのピアノ作品の解釈について学んだヴラド・ペルルミュテールの録音のひとつでは等速約132で演奏されている。今日ではラヴェルの譜面上の指定である等速144以上の高速で演奏するピアニストも多いが、これには相当のテクニックが必要とされる。

『クープランの墓』の演奏音源が残っている主なピアニスト[編集]

6曲全曲の音源が残っているピアニスト
 モニク・アース

  6曲のうち一部の曲が音源として残っているピアニスト

管弦楽版[編集]

「管弦楽の魔術師」と呼ばれ、多くのピアノ曲(ムソルグスキーの「『展覧会の絵』など他作を含む)をオーケストレーションしたラヴェルは、この『クープランの墓』にも編曲を施している(1919年)。ただしピアニスティックな技巧が前面に出される「トッカータ」と、中間部の「フーガ」の2曲は除外した(「フーガ」を外した理由についてラヴェルは語っていないが、バロック時代組曲にならい、舞曲のみの構成にするため外したものと考えられている)。

4曲は順序が変更され、「プレリュード」、「フォルラーヌ」、「メヌエット」、「リゴドン」の順に演奏される。演奏時間は約17分。

1920年2月28日ルネ・バトン指揮パドルー管弦楽団によって初演された。

また、同年にバレエ・スエドワ(スウェーデン・バレエ団)によって「フォルラーヌ」、「メヌエット」、「リゴドン」の3曲がバレエ化され、11月8日にシャンゼリゼ劇場で初演された(指揮:デジレ=エミール・アンゲルブレシュト)。バレエ版は好評であり、1923年にはラヴェルが100回目の公演を指揮した[1]

日本初演は1925年1月25日報知講堂にて、大沼哲ノートル・シムフォニィ・オーケストラが行った。

楽器編成[編集]

フルート2(ピッコロ持ち換えあり)、オーボエ2(イングリッシュ・ホルン持ち換えあり)、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット1、ハープ1、弦五部の小規模な2管編成であり、打楽器を含まない。標準的なオーケストラ団体のほか、室内オーケストラ団体でもレパートリーとして取り上げられる。ラヴェルの他の楽曲でも見られることだが、木管楽器に対して高度な技術を要求し、特にオーボエにとっては最難関の楽曲とされる。

作曲者以外による編曲[編集]

作曲者によらない編曲として、メイソン・ジョーンズによる木管五重奏版が広く演奏されている。これは「プレリュード」「フーガ」「メヌエット」「リゴドン」の4曲からなり、約13分である。

また、コチシュ・ゾルターンはラヴェルが管弦楽編曲を行わなかった「フーガ」「トッカータ」の2曲の管弦楽編曲を行っている。

この他、天野正道が「プレリュード」「メヌエット」「トッカータ」の3曲を吹奏楽に編曲しており、アマチュア吹奏楽団がコンクールにて演奏する例がしばしばある。

ウラディーミル・アシュケナージは「フーガ」「トッカータ」を含めた全曲(編曲は別の人物)をNHK交響楽団と演奏し録音している。

脚注[編集]

  1. ^ アービー・オレンシュタイン、井上さつき訳『ラヴェル 生涯と作品』音楽之友社、2006年、108ページ