クン・サ

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1988年4月、オーストラリアの記者ステファン・ライスの取材に応じるクン・サ
1988年4月、オーストラリアの記者ステファン・ライス(左)、の取材に応じるクン・サ

クン・サ (「クンサー」とも。中国名:張奇夫, 1934年2月17日 - 2007年10月26日)はタイミャンマー国境の少数民族シャン族開放組織モン・タイ軍英語版の指導者であり、黄金の三角地帯を作り上げた麻薬王である。

経歴[編集]

中国国共内戦で敗北を重ねた国民党軍は、すべてが1949年までに蒋介石総統と共に台湾に逃れたわけではなく、広東省からイギリス植民地香港に逃れた部隊や雲南省からタイ北部、ミャンマー北部のカチン州シャン州に逃れた部隊が存在した。

このうちタイ北部に逃れた部隊のひとつ、国民党軍第27集団軍隷下の「第93軍」は、共産主義化した中国からの国土奪還のための資金集めとして、民族、国境紛争の絶えなかったタイ北部に定住、少数民族解放運動を建前に武装を続け、アヘン栽培で資金集めをしていた(そのために「アヘン・アーミー」「ドラッグ・アーミー」とも呼ばれた)。その第93軍兵士とシャン族女性の間に生まれたのがクン・サである。

クン・サ本人の経歴は明らかでないが、成人後、国民党残党と袂を分かち、アメリカ合衆国CIA)の支援のもとシャン族・モン族の独立運動を大義名分とする兵力2000のモン・タイ軍(MTA)を結成。この期間に麻薬ビジネスを大々的に展開し、黄金の三角地帯(ゴールデン・トライアングル)と呼ばれる世界最大の麻薬密造地帯を形成した。

だがアメリカが麻薬ビジネスの取り締まりに力を入れるようになり、やがてクン・サは国際指名手配される。そのためタイ北部から国境未確定地帯のミャンマー奥地に逃げ込み、「シャン族独立」を掲げてミャンマー軍と永く対立していた。しかし、ミャンマー軍との実際の戦闘はほとんど生じず(MTAは、むしろ同じく反政府勢力であるビルマ共産党と激しく軍事衝突した)、1996年1月、ミャンマー政府との間で突然停戦合意をして投降した。投降後はミャンマー政府の庇護に置かれ、首都ヤンゴンで生活。麻薬で得た資金を合法ビジネスに転用して、ミャンマー・タイにまたがる財閥を作り上げた。アメリカ政府はクン・サの身柄の引き渡しをミャンマー政府に要求したものの、同政府はこれに応じなかった。

なお、クン・サの転向と第93軍指揮官である段希文が死去したこともあり、第93軍の元兵士および家族は、クン・サのミャンマー政府投降以前の1987年に武装放棄、タイ国籍を取得している。2007年10月26日に、ミャンマーのヤンゴンにて死去。

関連人物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ [1]2013年4月5日閲覧

関連図書[編集]

関連項目[編集]