クロード=ベニーニュ・バルバトル

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クロード=ベニーニュ・バルバトル
Claude-Bénigne Balbastre
基本情報
生誕 1724年12月8日
フランス王国ディジョン
死没 (1799-05-09) 1799年5月9日(74歳没)
フランス共和国パリ
職業 作曲家オルガニスト
ハープシコード奏者

クロード=ベニーニュ・バルバトル(Claude-Bénigne Balbastre, 1724年12月8日 ディジョン[1] - 1799年5月9日 パリ)はフランスの作曲家・オルガニストハープシコード奏者。

生涯[編集]

バルバトルの父親はオルガニストで、2度の結婚で18人の子供がいた。父親から音楽の手ほどきを受け、後にクロード・ラモー(ジャン=フィリップ・ラモーの弟)に師事した。

その後ジャン=フィリップ・ラモーの後押しもあり、1750年にパリへ渡った後1755年にコンセール・スピリチュエルでデビュー。さらに1760年にノートルダム大聖堂のオルガニストに就任。1776年にはルイ16世の弟プロヴァンス伯(後のルイ18世)付きのオルガニストに指名され、マリー・アントワネットにもクラヴサンの指導を行うなど権勢を誇った。しかし、フランス革命の勃発によりその地位を失い、晩年はラ・マルセイエーズサ・イラなどの革命歌を編曲しつつ貧困のうちに没した。

作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ それまで出生について議論があったが、洗礼の記録[1]が発見されて明らかになった。

外部リンク[編集]