クロード・シェソン

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クロード・シェソン, 1981

クロード・シェソン1920年4月13日 - 2012年10月15日)はフランス社会党の政治家。パリ生まれ。1981年-1984年の間、ピエール・モーロワ内閣で外務大臣を務めた。

第二次世界大戦の間、シェソンは国外に逃れ、ルクレール将軍の第2機甲師団(現・第2機甲旅団) に加わり、第12アフリカ騎兵連隊[訳語疑問点]で少尉を務めた。1948年に外務省へ入省し、その後は西ドイツとの連絡部門の責任者となった。外務省での役職を移るなかで、1952年にはフランス領インドシナ政府大統領の参事官[訳語疑問点]、1954年-1955年にはピエール・マンデス=フランス首相の官房長官[訳語疑問点]、1957年-1962年にはアフリカ技術協力委員会[訳語疑問点]幹事長[訳語疑問点]を務めた。1962年-1965年にはサハラ機構[訳語疑問点]理事[訳語疑問点]、1966年-1969年にはインドネシア大使を務めた。

1973年、シェソンは欧州委員会の委員に任命された。1977年まで務めた最初の役職は、開発政策、協力、予算、財政管理を担当するものだった。1977年-1981年の間、開発担当の長[訳語疑問点]を務めた。

1981年には委員会を離れ、1984年まで外務大臣として本国政府の一員となった。彼の時、省名が "Ministry of the External Relations" に変わったが、1986年には元の名前に戻った。彼はドロール委員会に加わり、1985年-1989年の間、地中海政策と南北関係に関する責任者となった。

2012年10月15日、死去[1]。92歳没。

脚注[編集]

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  1. ^ Mort de l'ancien ministre socialiste Claude Cheysson Le Monde 2012年10月17日閲覧
先代:
ジャン・フランソワ=ポンセ
フランス外務大臣
1981年 - 1984年
次代:
ローラン・デュマ