クロタール2世
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クロタール2世(Chlothar II, 584年 - 629年)は、メロヴィング朝の3代目の国王。キルペリク1世の五男[1]。
生涯 [編集]
584年 彼の父であるキルペリク1世が死去したとき、彼は生後4ヶ月であったため[2]、597年まで彼の母であるフレデグンデが摂政をしていた。
599年 いとこのアウストラシア王のテウデベルト2世、ブルグント王国のテウデリク2世と戦った。テウデリク2世とは度々戦ったが、613年テウデリクは死去している。ブルグンドはテウデリクの息子シギベルト2世が継承したが、シギベルドの曽祖母であるブルンヒルドが支配していた。
613年 ブルンヒルドとの戦いに勝利し、フランク王国を統一。パリへ遷都。ブルンヒルドは手足を縛られた状態で馬の尾に繋がれ、引き回され殺された。
614年 パリ勅令を発布。各分王国の貴族の要求を受け入れる形で、宮宰へ権限を委任。 また教会へ裁判特権を与えた。
623年 ダゴベルト1世をアウストラシア王に、ピピン1世を宮宰に任命。
出典 [編集]
参考文献 [編集]
- オーギュスタン・ティエリ 『メロヴィング王朝史話 上下』小島輝正訳、岩波書店、1992年。
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