クロタール2世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

クロタール2世(Chlothar II, 584年 - 629年)は、メロヴィング朝の3代目の国王キルペリク1世の五男[1]

子供はダゴベルト1世カリベルト2世がいる。

生涯[編集]

584年 彼の父であるキルペリク1世が死去したとき、彼は生後4ヶ月であったため[2]597年まで彼の母であるフレデグンデ摂政をしていた。

599年 いとこのアウストラシア王のテウデベルト2世ブルグント王国テウデリク2世と戦った。テウデリク2世とは度々戦ったが、613年テウデリクは死去している。ブルグンドはテウデリクの息子シギベルト2世が継承したが、シギベルドの曽祖母であるブルンヒルドが支配していた。

587年当時のガリア地方の地図。
黄色はクロタール2世の当初の領地。613年には地図の着色された部分を全て引き継いだか、征服した。

613年 ブルンヒルドとの戦いに勝利し、フランク王国を統一。パリへ遷都。ブルンヒルドは手足を縛られた状態で馬の尾に繋がれ、引き回され殺された。


614年 パリ勅令を発布。各分王国の貴族の要求を受け入れる形で、宮宰へ権限を委任。 また教会へ裁判特権を与えた。

623年 ダゴベルト1世をアウストラシア王に、ピピン1世を宮宰に任命。

出典[編集]

  1. ^ A.ティエリ、上、メロヴィング家系図抄。
  2. ^ A.ティエリ、p.176。

参考文献[編集]

  • オーギュスタン・ティエリ 『メロヴィング王朝史話 上下』小島輝正訳、岩波書店、1992年。
先代:
クロタール1世
フランク
第3代:613年 - 629年
次代:
ダゴベルト1世