クリス・アトキンソン
| クリス・アトキンソン | |
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2006年ラリー・オーストラリアにて
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| WRCでの経歴 | |
| 活動時期 | 2001 - |
| 所属チーム | スバル、シトロエン、ミニ |
| 出走回数 | 75 |
| チャンピオン回数 | 0 |
| 優勝回数 | 0 |
| 表彰台回数 | 6 |
| ステージ勝利数 | 41 |
| 通算獲得ポイント | 158 |
| 初戦 | 2004 ラリー・ニュージーランド |
クリス・アトキンソン(Chris Atkinson 1979年11月30日~)はオーストラリア・ニューサウスウェールズ州出身のラリー・ドライバー。やや温厚な人柄でボンド大学卒の商学修士でもある。2008年現在のコ・ドライバーはステファン・プレボ。
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[編集] 経歴
ラリー一家に生まれながらも、十代の頃のクリスは二輪競技のモトクロスに熱中していた。しかし大学卒業後に彼が地元のラリーへ出場する兄(ベン)の為、コ・ドライバーを引き受けた事が彼にとって大きな転機となった。ステアリングを握りたくなった彼が試しに兄とシートを交替させて貰ってからは、当時目指していた株式仲買人になる事も無くラリースクールに入学。比較的遅めのキャリアスタートながらも順調にステップアップを重ねて、2003年にアジアパシフィックラリー選手権(APRC)のスーパー1600にスズキ・イグニスで参戦、2003年・2004年と年間タイトルを獲得した。
2004年にはAPRC参戦の傍ら世界ラリー選手権(WRC)にステップアップし、ニュージーランド・ラリーにスバルから参戦。2005年からはスバルとWRCシーズンフル参戦の契約を結び、オーストラリア人として初めてのフルタイムWRCドライバーとなった。この年のラリージャパンでは3位表彰台に上がっている。2006年はインプレッサの戦闘力が向上せず、この年1度も表彰台に上がることが出来ず最高位はラリージャパンの4位。2007年も表彰台には届かなかったが、そのうち3戦で4位に入っている。2008年は前年フルモデルチェンジしたインプレッサのWRカーがデビュー。この年序盤から表彰台に立つなど初優勝が期待されたが、ランキング5位に終わった。しかし12月16日、スバルが突如WRC撤退を発表。理由は自動車業界に影響を与えている景気悪化だった。
2009年はシトロエンのジュニアチームと契約。アイルランドに出場し5位に入るも、今後のWRC参戦には結びつかなかった。2010年はAPRCに復帰しプロトンに所属。2011年はランキング2位に終わった。2012年はメキシコでモンスター・ワールド・ラリーチームから久々のWRC復帰をするもリタイアとなった。そしてフィンランドではロンドン五輪に出場していたナサール・アルアティヤに替わってカタール・ワールド・ラリーチームから出場。一時8位に付けるもトラブルが多発し総合39位に終わった。しかしドイツからはアルミンド・アラウージョに替わってWRCチーム・ミニ・ポルトガルから終盤の5戦に出場。スバル以来4年振りにレギュラーシートを得た。表彰台には上がれなかったがドイツで総合5位に入った。一方APRCではMRFチームに移籍しシュコダ・ファビア S2000をドライブし念願のチャンピオンを獲得した。2013年はハリド・アル・カシミの代役としてシトロエンワークスの姉妹チームアブダビ・シトロエン・トタルからワークススペックのDS3 WRCでメキシコに参戦した。序盤にトラブルで遅れるもその後巻き返し6位を得た。
[編集] 戦績
[編集] WRC戦績
- 2012 - ワールドラリー・チャンピオンシップ 年間13位
- 2009 - ワールドラリー・チャンピオンシップ 年間14位
- 2008 - ワールドラリー・チャンピオンシップ 年間5位
- 2007 - ワールドラリー・チャンピオンシップ 年間7位
- 2006 - ワールドラリー・チャンピオンシップ 年間10位
- 2005 - ワールドラリー・チャンピオンシップ 年間12位
[編集] WRC以前
- 2004 - オーストラリアラリー・チャンピオンシップ 総合2位
- 2004 - アジアパシフィック・スーパー1600 タイトル獲得
- 2003 - アジアパシフィック・スーパー1600 タイトル獲得
- 2002 - オーストラリア・プライベーターカップ タイトル獲得