クラレンス・キング
| クラレンス・キング | |
|---|---|
| 人物情報 | |
| 誕生 | 1842年1月6日 |
| 死没 | 1901年12月24日(満59歳没) |
| 学問 | |
| 研究分野 | 地質学 |
| 研究機関 | アメリカ地質調査所 |
| 母校 | イエール大学 |
クラレンス・キング(Clarence King、1842年1月6日 - 1901年12月24日)は、アメリカ合衆国の地質学者で登山家。1879年から1881年までアメリカ地質調査所の監督として彼はネバダ州のシエラネバダ山脈の調査で知られている。彼はロードアイランド州のニューポートに生まれた。
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経歴 [編集]
1862年、キングは、イエール大学のシェフィールド科学学部 (Sheffield Scientific School) を化学の学位を取得して卒業。イェール時代、彼はジェームズ・デーナと一緒に勉強していた。
卒業後、キングは親友で級友のジェームズ・テリー・ガードナー (James Terry Gardiner) と一緒に馬でカリフォルニアに旅行した。カリフォルニアでは、無報酬でカリフォルニア地質調査所 (California Geological Survey) に参加。ここで、ウィリアム・ヘンリー・ブリューワー (William Henry Brewer) 、ジョシア・ホイットニー (Josiah Whitney) 、そしてリチャード・D・コッター (Richard D Cotter) と一緒に働いた。1872年の10月、フィリップ・アーノルド (Philip Arnold) が仕掛けたダイアモンドと宝石の原石にまつわる悪ふざけ (diamond and gemstone hoax) を発見。1864年、キングとリチャード・コッターは、ティンダル山 (Mount Tyndall) の初登頂について発表した。当時は測量ミスで、ティンダル山が、シエラネバダ山脈の最高峰とされていた。
1867年、キングは、アメリカの北緯40度線調査 (Geological Exploration of the Fortieth Parallel) に参加する地質学者に指名される。これは40度線調査の名で知られる著名な探検で、このために彼はかなりの強力なロビー活動を行った。キングは、ワイオミングからカリフォルニアとの境界までの宏大な範囲を担当し、この調査に6年の歳月を費やした。この時期、彼は、有名な著書『シエラネバダの登山』(Mountaineering in the Sierra Nevada、1872年)を出版している。その野外調査の仕事が完全に終了した後で、1878年彼は、『体系地質学』を出版した。
調査のため野外調査の指揮を執っていた間、彼はヘンリー・アダムス (Henry Brooks Adams) と知り合い、友人となった。彼らの友情は、キングの後半生の間続くものとなり、彼の名は、アダムスの自伝的な著作『ヘンリー・アダムスの教育』(1907年)の中でしばしば登場することになる。
1879年、アメリカ連邦議会は、アメリカ西部の地質調査所の数を整理統合し、アメリカ地質調査所という組織を作り上げた。キングが、その最初の責任者に選任されたが、その任期はわずか20か月だけのものだった。
キングは、アリゾナ州フェニックスで肺結核のため亡くなり、ロードアイランド州のニューポートに埋葬された。ユタ州のキング・ピーク (Kings Peak)、キングス・キャニオン国立公園のクラレンス・キング山 (Mount Clarence King) は、彼の名誉を称えて名づけられたものである。
ジェームズ・トッドとしての二重生活 [編集]
歴史家のマーサ・サンドワイス (Martha Sandweiss) によれば、キングは、彼の人生の最後の13年二重生活をしていたとされる。1887年もしくは1888年、彼はジョージア州出身のアフリカ系アメリカ人の看護師(元奴隷)アダ・コップランド・トッド (Ada Copeland) と知り合い、夢中になった。彼女は1880年代の半ば、ニューヨークに移り住んできていた。19世紀には白人と黒人の間の結婚は、雑種婚ともいわれ激しく忌み嫌われ、多くの土地では非合法とまでされていた。そこでキングは、彼女に自分の氏素性を隠したのである。彼は、青い目と色白にも関わらず、自分はアフリカ系のアメリカ人で鉄道の車掌をしているジェームズ・トッドだと彼女に信じ込ませたのである。2人は恋に落ち、1888年に結婚に至った。婚姻期間を通して、彼はアダに一度も真実を明かさなかった。家にいるときは鉄道車掌のトッドで、野外にいるときは地質学者のキングとして生活したのである。2人は、5人の黒人、白人の子どもを授かった。キングは、アリゾナ州で死の床にある時に、コップランドに手紙を書いて、最後にすべての真実を明かした。
関連項目 [編集]
参考文献 [編集]
- Clarence King (1871). Mountaineering in the Sierra Nevada, Boston: James Osgood & Co., New York: C. Scribner’s sons tenth edition 1902: online edition
- Clarence King, Catastrophism and Evolution, The American Naturalist, Vol. 11, No. 8. (Aug., 1877), pp. 449-470.
- Martha A. Sandweiss, Passing Strange: A Gilded Age Tale of Love and Deception Across the Color Line (New York: Penguin, 2009), ISBN 978-1594202001.
- Thurman Wilkins and Caroline Lawson Hinkley (1988). Clarence King: A Biography, University of New Mexico Press, 1988 revised edition, softcover, ISBN 0-8263-1085-0
- Aaron Sachs, The Humboldt Current: Nineteenth Century Exploration and the Roots of American Environmentalism, (Viking, 2006), King, one of four Americans on whom the author focuses, was influenced by Alexander von Humboldt.
- Robert Wilson (2006). The Explorer King : Adventure, Science, and the Great Diamond Hoax--Clarence King in the Old West, Scribner, ISBN 0-7432-6025-2