クラウディオ・カニーヒア
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| 名前 | ||||
| 本名 | クラウディオ・パウル・カニーヒア | |||
| 愛称 | 風の申し子(Hijo del Viento)、 スズメ(El Pájaro)、 マラドーナの恋人 |
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| カタカナ | クラウディオ・カニーヒア | |||
| ラテン文字 | Claudio CANIGGIA | |||
| 基本情報 | ||||
| 国籍 | ||||
| 生年月日 | 1967年1月9日(45歳) | |||
| 出身地 | エンデルソン | |||
| 身長 | 172cm | |||
| 体重 | 67kg | |||
| 選手情報 | ||||
| ポジション | FW | |||
| 利き足 | 右足 | |||
| 代表歴 | ||||
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クラウディオ・パウル・カニーヒア(Claudio Paul Caniggia、1967年1月9日- )は、アルゼンチン出身の元サッカー選手であり、元同国代表。ポジションはフォワード。
スペイン語読みは「カニーヒア」だが、イタリア系アルゼンチン人である本人は、イタリア語読みの「カニージャ」を好み、メディアにもそう呼んでほしいと主張していた。
目次 |
[編集] 経歴
1985年に、リーベルプレートから国内リーグにデビュー。その後欧州に渡るが、癇癪持ちの性格からか行く先々でトラブルメーカーとなり、クラブレベルではあまり名声を得ることが出来なかった。
代表では1987年にイタリア戦でデビューし、同年母国で行われた南米選手権で活躍。その後、1990年のワールドカップ・イタリア大会での準優勝、1991年の南米選手権・チリ大会優勝時等のメンバーとなっている。ディエゴ・マラドーナと数多くの大会で2トップを組み、「マラドーナの恋人」と呼ばれるほど高い連帯を見せた。W杯イタリア大会決勝トーナメント1回戦のブラジル戦では、マラドーナのスルーパスから、W杯で初めてブラジルを破るゴールを挙げている。
ワールドカップには、1994年のアメリカ大会へも出場したが、1998年のフランス大会は代表落ちした。当時の代表監督は、長髪禁止令で物議を醸したダニエル・パサレラであり[1]、その落選も「短髪を拒否した為」とされることが多いが、実際は1996年4月のボリビア戦を最後に、元々代表からは遠ざかっていた。また、後述の「値札張替え事件」も大会直前に起こしている。
その後不遇を託つ時期が続いたが、2001-2002年シーズンにレンジャーズへ移籍すると、エースとしてチームを優勝に導く活躍を見せた。このことが認められ、2002年2月には久々に代表復帰。更にはワールドカップ・日韓大会のメンバーにも選出され、周囲を驚かせた。しかし出場機会がないまま、スウェーデン戦ではベンチから暴言を吐き退場。試合に全く出場しないまま、退席処分を受けるという珍記録を作ってしまった。
2003年にカタールに移籍。2005年を最後に現役を引退した。
[編集] エピソード
- ボカ・ジュニアーズに所属していた頃、得点後のパフォーマンスで、同僚だったマラドーナとディープキスをしたことがある[2]。「マラドーナの恋人」と呼ばれていることに伴ったジョークだったが、当時のマラドーナ夫人は激怒し、カニージャが謝罪する事態にまで発展した。
- 恐妻家とされていた。
- ピッチ外でもマラドーナの弟分としても知られていたが、素行の悪さまで似たのか度々問題行動を起こしている。
- ワールドカップ・イタリア大会では、準決勝・イタリア戦で不用意なハンドを犯し、累積警告で決勝に出場できなくなった。
- 1993年、コカインの使用で13ヶ月間の出場停止処分を受けた。
- マラドーナが薬物使用で追放処分を受けた1994年のワールドカップ・アメリカ大会では、前述したコカインの摂取歴やマラドーナと仲が良い点から、カニージャにも疑惑の声が挙がった。怪我により3試合の出場に留まったが、「ドーピング検査に引っ掛かるのを恐れて出場しなかったのでは」とも噂された。
- 1998年には、所属クラブのアメリカ遠征の際、靴屋で値札の張り替え事件を起こし逮捕された。
- 1999年、 ワールドサッカーの20世紀の偉大なサッカー選手100人で52位に選出された。
[編集] 所属クラブ
- 1985-1988
リーベルプレート - 1988-1989
エラス・ヴェローナ - 1989-1992
アタランタBC - 1992-1994
ASローマ - 1994-1995
ベンフィカ - 1995-1999
ボカ・ジュニアーズ - 1999-2000
アタランタBC - 2000-2001
ダンディーFC - 2001-2003
グラスゴー・レンジャーズFC - 2003-2005
カタールSC
[編集] 主な代表歴
- FIFAワールドカップ 9試合出場、4得点(最高成績:準優勝)
- 南米選手権
- キング・ファハド・カップ
- 1992年サウジアラビア大会(成績:優勝)
国際Aマッチ51試合出場、16得点。
[編集] 注釈
- ^ 仲の良いフェルナンド・レドンドも、それを起因としてパサレラと衝突していた。
- ^ 写真
[編集] 関連項目
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