クライド・セスナ

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クライド・ヴァーノン・セスナ(Clyde Vernon Cessna、1879年12月5日 - 1954年1月20日)はアメリカ合衆国パイロット、航空エンジニアで、航空機メーカーのセスナの創立者である。

アイオワ州ホウソーンに生まれた。2歳の時、カンザス州に移り少年時代から機械技術に優れ、農業用の機械の改良などを行った。後にオクラホマ州のエニッドで、カーディーラーとして成功した。1911年に、最初の木製羽布張りの単葉機、シルバーウィングを設計した。40馬力で1050回転の4気筒、2ストロークエンジンのモーターボート用のエルブリッジ・エンジンを搭載した。グレートサルトレークで飛行試験を行った。最初のテストでは、滑走中に転覆し、修理に100ドルを必要とした。離陸できないテストが続き、13回目のテストで機体がジャンプし、林のなかへ墜落した。6月に初めて飛行に成功し、12月までに飛行の技術を自得し、12月には8kmほどを飛行し、離陸地点に戻って着陸できるようになった。

シルバーウィングの成功によって、自動車販売をやめ、航空の世界に入り、40馬力から60馬力のアンザニ・エンジンを積んだ単葉をいくつか開発し、週末には地方で行われるイベントで飛行を行った。

1916年に飛行機を製作するために工場をたて、飛行学校を開いたが、第一次世界大戦にアメリカが参戦すると、見世物飛行の需要は減少し、収入源を失い、カンサスの家族の農場に戻った。

戦争が終わると、民間航空が発展し、1925年にセスナは、ウオルター・ビーチロイド・ステアマンとトラベルエアー (Travel Air Manufacturing Company) をカンザス州ウィチタに設立した。トラベルエアーは、セスナの進歩的な設計コンセプトによって成功するが2年後、ビーチらと単葉か複葉を採用するかの意見の衝突があり、セスナは自らの会社をつくるためにトラベルエアーを退社した。

1927年9月7日にセスナ社 (Cessna Aircraft Corporation) が公式に発足し、1927年末にはセスナ AWが完成した。単葉のAWは233 km/hの最高速度と7時間の航続時間の性能を持っていた。その後もセスナ社は、安全で高性能で経済的なレース機やスポーツ機の生産を行った。

それらの飛行機は成功を収めたが、大恐慌のよって飛行機の販売は激減し、資金は失われ1931年に会社は閉鎖された。1934年にウィチタ工場を再開するが、ほどなく会社を甥のドゥエイン・ウォレスに売却した。会社の売却後、農業に戻り、新しい経営者によってセスナ社への参加を求められるが、経営には参加せず、会社の象徴的な存在として活動するだけであった。