クダ州
| クダ州 قدح دارالأما Kedah Darul Aman |
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| — 州 — | |||
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| 賛歌:Allah Selamatkan Sultan Mahkota | |||
| 座標: 北緯6度07分42秒 東経100度21分46秒 / 北緯6.12833度 東経100.36278度 | |||
| 州都 | アロースター | ||
| 王都 | アロースター | ||
| 行政 | |||
| - 政党 | 人民連盟 | ||
| - スルタン | Sultan Abdul Halim Mu'adzam Shah | ||
| - 州首相 | Dato' Ustaz Azizan Abdul Razak | ||
| 面積 | |||
| - 計 | 9,426km2 (3,639.4mi2) | ||
| 人口 (2009) | |||
| - 計 | 2,000,000人 | ||
| - 人口密度 | 212.1人/km² (549.3人/mi²) | ||
| 人間開発指数 | |||
| - HDI (2003) | 0.741 (中) | ||
| 郵便番号 | 02xxx 05xxx ~ 09xxx |
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| 電話番号 | 04 | ||
| ISO 3166コード | MY-02 | ||
| ナンバープレート | K (半島) KV (ランカウイ島) |
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| イギリスの支配 | 1909 | ||
| 日本の占領 | 1942 | ||
| マラヤ連邦 | 1948 | ||
| ウェブサイト | http://www.kedah.gov.my/ | ||
クダ州(ラテン文字: Kedah, ジャウィ: قدح )は、マレーシアの行政区画 (州) の一つである。
目次 |
[編集] 概要
半島部マレーシアの北部西岸に位置しており、州の北側にはプルリス州があり、北東にタイ南端(ヤラー県、ソンクラー県)と国境を接し、南側にはペナン州とペラ州と接している。州都はアロー・スター。
水田が一面に広がる、国内有数の穀倉地帯である。近年は、政府主導による工業団地建設や、自然豊かな観光資源を活用した観光開発がすすめられており、今日、一大リゾートアイランドとなったランカウイ島 (Pulau Langkawi) もこのクダ州に含まれる。
なお、初代首相のラーマンやマハティール前首相の出身地としても知られる。
[編集] 地理
クダ州の面積は 9,428 km²で、稲作に適する平野部がそのほとんどを占めている。
州都アロー・スターは2003年12月21日に (一般) 市から特別市へ昇格した。他にも大きな町として、半島部にスンガイ・プタニとクリムがあり、ランカウイ島にクア (Kuah) がある。
[編集] 州政府の地域行政区分
- バリン郡 (Daerah Baling)
- バンダル・バル郡 (Daerah Bandar Bahru)
- コタ・スター郡 (Daerah Kota Setar)
- クアラ・ムダ郡 (Daerah Kuala Muda)
- クバン・パス郡 (Daerah Kubang Pasu)
- クリム郡 (Daerah Kulim)
- ランカウイ郡 (Daerah Langkawi)
- パダン・トゥラップ郡 (Daerah Padang Terap)
- ペンダン郡 (Daerah Pendang)
- シッ郡 (Daerah Sik)
- ヤン郡 (Daerah Yan)
[編集] 地方自治体
- 特別市
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- アロー・スター特別市 (Majlis Bandaraya Alor Setar)
- 市
- 町
[編集] 民族構成
クダ州の人口は、2003年のデータでは、1,778,188 人。
その内訳は、マレー系が 1,336,352 人、中国系が 252,987 人、インド系が 122,911 人、外国人が 35,293 人、その他の民族 27,532 人となっている。
[編集] 歴史
4世紀にはブジャング盆地を中心としたヒンドゥー・仏教文明がクダ地域に存在した。[1]
7世紀から8世紀に渡って、クダ王国はシュリーヴィジャヤ王国 (現在のスマトラ島を中心とした王国)、そしてシャム (現在のタイ) の干渉を受け、統治された。
1136年、クダ王国建国。この時から現在の州知事までスルタンの称号が続いている。
15世紀に、マラッカ王朝の発展により、マラッカに統治された。
17世紀に、マラッカを倒したポルトガルに次いで、アチェ王国 (現在のインドネシアナングロ・アチェ・ダルサラーム州) からも攻撃を受け敗戦した。
18世紀末、タイの攻撃を恐れて、イギリスの東インド会社にペナン島を譲渡し、その庇護を求めた。イギリスはフランシス・ライトを派遣し、1786年にペナンが東インド会社に賃貸という形で譲渡され、フランシス・ライトはクダに有事の際に兵力援助を行う事を約束した。しかし、イギリスの本音は、クダを攻めようとしているタイとの貿易が国益に占める割合が大きかったために下手に出るとイギリスが大損をしかねないため、最初から派兵の意思はなく、フランシス・ライトは東インド会社の承認を得ずに兵力援助の約束をした。いずれにしても、クダ王国に嘘をついていた。
1791年、タイが隣国のパタニ王国(現在のタイ深南部三県)まで攻めて来たため、イギリスに派兵を要求したが断わられたことで、クダはフランシス・ライトに5年間騙されていた事が発覚した。
1791年5月1日、クダ王国は10,000人からなる大軍によるペナン島回復戦を計画したが、事前にフランシス・ライトに察知され、ペナンを取り返すどころか拠点のスブラン・プライを奪われてしまい、ペナンを正式にイギリスに明け渡すことになった。
1824年、イギリス・オランダ両国にて、マレー半島(マラッカ海峡)を中心とする地区の勢力範囲を定めた英蘭協約を締結(現マレーシア領をイギリス、現インドネシア領をオランダが支配するように分割整理)。
1909年の英泰条約によってイギリスに移譲され植民地になる。
1942年 シャム領から上陸した日本陸軍の部隊が半島西部に侵攻した。日本軍はシャムとの約束通りに、クダ州をシャムに移譲した。
1948年、戦後にイギリスに返還されていたが、マラヤ連邦 (Federation of Malaya) に加入した。
[編集] 経済
クダ州は昔から農業が盛んでいて、マレーシアの米の3割を生産し、マレーシア有数の穀倉地帯である。そのほか、ゴム、アブラヤシとタバコの生産地でもある。
近年では観光業の発展も著しく、特に、ランカウイ島は有数の観光地となっている。ランカウイ全体は免税地域となっているので、品物は格安である。
1996年、クリム郡に、クリム・ハイテック・パークができて、富士電機グループ、濱田重工、HOYAなどの日本企業、インテル等の海外企業がプラントを設けた。海外からの投資を呼び込むための各種設備・制度が完備しており、かつ国際空港のあるペナン島とは橋と高速道路によって接続しているため、海外の進出企業にとっても魅力は大きい。
[編集] 脚注
- ^ 古代についてはHistory of Malaysiaを参照。
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