クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス

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クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスQuicksilver Messenger Service)はアメリカブルースフォークロック・バンドグレイトフル・デッドジェファーソン・エアプレイン、ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーなどと共に、サンフランシスコサイケデリック・ロックのグループとして知られている。アルバム『ハッピー・トレイルズ (Happy Trails)』は、『ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500』において189位にランクイン[1]

ギターのジョン・シポリナは、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第32位、2011年の改訂版では削除された。

来歴[編集]

結成まで[編集]

1964年、フォーク・シンガーとして国内で活動していたディヴィッド・フライバーグが西海岸に流れ着いたパロ・アルト、のコーヒー・ハウスでポール・カントナーとデュオを組み、デヴィッド・クロスビー、ジェリー・ガルシア、ロバート・ハンターらと演奏を繰り返していた。フォーク・シーンは下火となりビートルズの登場とともにカントナーはバンドを組む為にデュオを解消し、クロスビーはロサンジェルスに移りロジャー・マッギンというパートナーを見つけてザ・バーズ結成へ、ガルシアはサンフランシスコで新しいグループを組み後のグレイトフル・デッドへと動き出す。フライバーグはマリファナ所持で収監され、出所後、シンガーでハープ奏者のジム・マレイを通じて友人のギタリストジョン・シポリナと出逢う。

1965年の夏頃にフライバーグはある日ディノ・ヴァレンテという人物の評判を聞き、演奏を聴いた後にグループの結成を持ちかける一方でジョン・シポリナはアメリカのトップ40を演奏するバンド、ザ・ブローグスのゲイリー・ダンカン(ギター)、グレゴリー・エルモア(ドラムス)らとセッションを行う。ローリング・ストーンズのヴァージョンの「モナ」(オリジナルはボ・ディドリー)を演奏した。

その後フライバーグは再びマリファナの所持で収監され、彼が出所してグループを始める寸前にヴァレンテが同じく所持で収監されてしまう。

フライバーグがベースを担当し、シポリナ、マレイにアレキサンダー・スペンスとセッション・ドラマーが加わりマーティ・バリンの所持するクラブザ・マトリックスにてリハーサルを開始するが、スペンスをバリンのグループ、ジェファーソン・エアプレインにスカウトされてしまい、結局ダンカン、エルモアが加わりグループのメンバーが皆処女宮に関連することからクイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスと名付けて12月に慈善コンサートでデビューする。

名前の由来についての補足 『マレイとフライバーグが名前を思いついたんだ。俺とフライバーグは同じ日に生まれている。ゲイリーとグレゴリーも同じ日に生まれている。みんなおとめ座だった。マレイはふたご座。ふたご座とおとめ座の守護星は水星(マーキュリー)。マーキュリーの別名はクイックシルバー(水銀)。水銀は古来ギリシャ神話になぞって神の使い(the messenger of the Gods)とされている。そしておとめ座(Virgo)はそれに仕える人(servant)。そしてフライバーグが言ったんだ。 'Oh, Quicksilver Messenger Service'』(ジョン・シポリナ)

結成から最盛期[編集]

フラワー・パワー、ヒッピー・カルチャーや社会背景(公民権運動、反戦運動)から、1966年以降顕著化したサンフランシスコのロック・ムーブメントで最初期から代表格の一つだったが、大手レーベルとの契約は遅かった。前述の麻薬違反からメンバーを欠く状態で不安定だったこと、それにまつわるマナーの悪さを問題視された結果だった。 当時暗喩的にドラッグを扱った曲が相次いで放送禁止処分になるなど、特にサンフランシスコ拠点で活動するロックバンドとの契約はリスクと紙一重で慎重だった。

流行のサイケデリック・ロック (マリファナ、LSDなどのドラッグによる擬似神秘体験を表現する音楽)で、ステージはジョン・シポリーナのフィードバックなどの電気効果、ヴォリューム、トレモロ・アーム駆使したギターで、クイックシルバー・メッセンジャー・サーヴィス人気は確立した。映画「レボリューション」とユナイテッド・アーティスト・レコードでサウンド・トラックレコーディングを行い、その直後という時期に、ジム・マレイはグループを去りハワイへ移住する。 大手レコード会社とレコーディング契約チャンスは、1967年モントレー・ポップ・フェスティバル出演だった。このイベントを機会に、時期は前後するが共演したジャニス・ジョプリンビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーがコロンビアに移籍、マイク・ブルームフィールドらのエレクトリック・フラッグモビー・グレープ、は契約し、ビートルズ人気で新規開拓に積極的では無い出遅れていたキャピトル・レコードが彼らとスティーヴ・ミラー・バンドを選び出した。4人による活動で1968年にグループ名のみのタイトルでファースト・アルバムはエレクトリック・フラッグニック・グラヴィナイツらの協力、アドバイスを仰ぎ、ライヴ演奏で披露した長尺曲は短めに纏め、全体こじんまりとした印象の内容だった。全米にグループ自身の魅力を告げるには翌年の1969年の「Happy Trails」のリリースが欠かせないこととなる。グレイトフル・デッドからアンペックス・8トラック・モービルを借り擬似ライヴ(フィルモア、ウインターランドなどで録音)とスタジオで収録され、当時流行の実験ロックにあってギター声明LPレコードと言うべきもので、ブルース・コードで延々ギターをかき鳴らす演奏録音の嚆矢となった。それは後年言うところのジャングル・ビートが曲をつなぎ、ラストのカントリー・ソングまで物語を作り出した。 異国情緒を醸す独特なジョン・シポリーナの電気ギター手法は、意外にも遠いトルコのギターキング、Erkin Korayが土着民族音楽を取り入れ表現する際に活かされた。

アルバムは完成したもののグループ自体は分裂してゲイリー・ダンカンはディノ・ヴァレンテと新しいグループ、ジ・アウトローズを結成で離れる。

3作目のアルバム「Shady Grove」を制作する。再びニック・グラヴィナイツが楽曲提供し、ニッキー・ホプキンスを迎えて新たな展開を図る。 1969年は一切ライヴ活動は行わず、翌1970年にダンカン、ヴァレンテが復帰して6人編成で傑作「Just For Love」をリリースするが、同年に録音した「What about Me」の頃にはホプキンスが、1971年に入るとジョン・シポリナも抜けてしまう。何度か目のドラッグ所持で逮捕されたフライバーグはカントナー、グレイス・スリックらの末期ジェファーソン・エアプレーン(ジェファーソン・スターシップ)に合流する。

バンドの音楽志向や方針が固まらなかった初期から、メンバーの信頼と期待を一身に集めたディノ・ヴァレンティは、フラワー・パワーで賛歌の一つだったGet Together(The Youngbloodsで大ヒット)の作者で、有能なソング・ライターだった。バンドにとってレーベル契約に欠かせない存在だったが前述の通り、麻薬違反服役で脱落、残されたメンバーはライヴ演奏に活路を見いだし地元では絶大な人気を確保し、やがてレーベル契約から全国的な名声といった成功を勝ち取るに至る。ディノ・ヴァレンティの復帰はバンドの弱点だった楽曲制作者不在は解消されたが皮肉にもバンドに不和が生じてしまう。ディノ・ヴァレンティの作る耽美的メロウな曲やラテン・ロック等のアプローチといった音楽指向は70年代以降シンガーソングライターブームやAORブーム迎合到来のなか完成されてゆくもので、時流のリズムがずっしりしたギター楽曲(ハードロック)全盛の時期では早すぎ場違いなものだった。ハワイ州・オアフ島ハレイワのスタジオでじっくりと録音された「Just For Love」は良作だったが、ライブで名を高めたクイックシルバー・メッセンジャー・サーヴィスを否定しかねない作品だった。

解散、再結成、再活動[編集]

ディノ・ヴァレンテとゲイリー・ダンカン、グレッグ・エルモアらにより活動を続けることになりヴァレンテが中心となり1971年に「Quicksilver」1972年に「Comin' Thru」をリリースするが1973年頃にはトラブルを抱える様になりバンドの活動を停止することになる。1975年に一度最盛期のメンバーで再結成アルバムを制作、コンサートを行うが何のリアクションもなく幕を閉じた。

1980年代に入るとグレイトフル・デッドの復活とともにサン・フランシスコの音楽が活気づくとゲイリー・ダンカンがグループを復活させてゲイリー・ダンカン・クイックシルヴァーの名の下にサンフランシスコのローカル・シーンで活動を再開させている。

参考文献[編集]

Summer Of Love Joel Slvin Deadbase IX John W.Scott, Mike Dolgushkin,Stu Nickson

ディスコグラフィー[編集]

Quicksilver Messenger Service オリジナル・アルバム[編集]

  • Quicksilver Messenger Service(1968)
  • Happy Trails(1969)
  • Shady Grove(1969)
  • Fresh Air(1970)
  • What 'Bout Me(1970)
  • Quicksilver(1971)
  • Comiin' Thru(1972)
  • Solid Silver (1975)

Gary Duncan Quicksilver オリジナル・アルバム[編集]

  • Peace by Piece(1986)
  • Shape Shifter Volume 1 & Volume 2(1996)(2CD set)
  • Live at Field Stone(1997)
  • Shape Shifter Volume 3 (2006)
  • Shape Shifter Volume 4 (2006)
  • Strange Trim (2006)
  • Three in the Side (2006)(ミニアルバム)
  • Live at Sweetwater (2006)
  • Live at the 7th Note (2006)
  • Gary Duncan with Crawfish of Love - Snake Language(2006)
  • Six String Voodoo (2007)
  • Quicksilver 07 Live (2007)
  • The Hermit (2010)

編集・アーカイヴ作品[編集]

  • Anthrogy(1973)
  • The Ultimate Journey(See For Miles CD, 1990)
  • Sons Of Mercur:1968-1975(Rhino CD, 1991)
  • Unreleased Quicksilver Messenger Service - Lost Gold and Silver(CD, 1999)
  • At the Kabuki Theatre(Charly CD, 2007)
  • Live at the Avalon Ballroom, San Francisco, 9th September 1966 (Voiceprint CD, 2008)
  • Live at the Avalon Ballroom, San Francisco, 28th October 1966 (Voiceprint CD, 2008)
  • Live at The Fillmore, San Francisco, 4th February 1968 (Voiceprint 2-CD, 2008)
  • Live at The Fillmore, San Francisco, 6th February 1968 (Voiceprint CD, 2008)
  • Live at The Carousel Ballroom, San Francisco, 4th April 1968 (Voiceprint 2-CD, 2008)

脚注[編集]

  1. ^ 500 Greatest Albums of All Time: Quicksilver Messenger Service, 'Happy Trails' | Rolling Stone