クィントゥス・ペティリウス・ケリアリス

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クィントゥス・ペティリウス・ケリアリス・カエシウス・ルフス(Quintus Petilius Cerialis Caesius Rufus, 30年頃 - 没年不詳)は、ローマ帝国フラウィウス朝期の執政官。その名前から古代ローマでは一般的だった養子縁組でカエシウス家からペティリウス氏族に入ったと推測される。兄はカエシウス・ナシカ(en)、妻・フラウィアはウェスパシアヌスの姉に当る。

生涯[編集]

ケリアリスの名が歴史に登場するのは、ブリタンニア長官ガイウス・スエトニウス・パウリヌス配下として当地に駐留する第9軍団ヒスパナの使節使へ就任した時だった。だが、その直後の60年に起こったイケニ族の女王ブーディカを首謀者とした反乱ではカムロドゥヌム(現:コルチェスター)奪回に挑むも大敗した。

その後、オスティア総督職に就いていたが、当時シリア属州総督であり、皇帝に名乗りを挙げたウェスパシアヌスの身内として内戦時期はウィテリウスの人質となったものの、混乱に乗じ脱出、機動部隊を率いウェスパシアヌスのローマ反転を支援した。皇帝となったウェスパシアヌスはケリアリスに信頼感を持ち、第14軍団ゲミナの指揮権を与えていざこざが絶えない属州低地ゲルマニアに着任した。内戦に呼応する形で生じていたゲルマン系バタヴィ族出身のガイウス・ユリウス・キウィリスを首謀者とする反乱を鎮圧し、ウェスパシアヌスの期待に応えた。

71年にはブリタンニア長官に就任し、第2軍団アディウトリクス・ピア・フィデリスを率いて着任した。彼の補佐は第20軍団ウァレリア・ウィクトリクスの司令グナエウス・ユリウス・アグリコラが務めた。ケリアリスはブリタンニア北部のブリガンテス族(en)討伐などで功績を挙げ、74年にはローマに帰国、執政官の任に就いた。83年にはふたたび執政官として皇帝ドミティアヌスに仕えた。

タキトゥスはケリアリスを評して慎重というよりもむしろ豪快な軍人に分類している。それは一度の戦闘で物資をすべて注ぎ込むようなところからも窺える。また、兵士の士気に直に訴えかける飾り気の無い演説の才能を持ち、上官への忠義は微塵も揺るがなかったとも伝える。

参考文献[編集]

  • タキトゥス『年代記』14.32
  • タキトゥス『同時代史』3.59 4.71-79 4.86
  • タキトゥス『アグリコラ』8 17