ギータ・オブ・ウェセックス

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ギータ・オブ・ウェセックス英語: Gytha of Wessexロシア語: Гита Уэссекская:ギータ・ウエッセクスカヤ 、? - 1098年3月10日もしくは1107年)は、アングロ・サクソンイングランド王ハロルド2世の娘であり、キエフ大公ウラジーミル・モノマフの妻である。

生涯[編集]

1066年、父のハロルド2世がヘイスティングスの戦いで戦死した後、フランドル伯国[注 1]へと逃亡した。サクソ・グラマティクスの記述には、その後に何人かの兄弟姉妹と共に、おじのデンマーク王Svend2世[注 2]の元へと移住したとある。

1074年にルーシの公ウラジーミル・モノマフと結婚し、モノマフとの間に数名の子を生んだ。そのうちの1人のムスチスラフは、西欧の史料によれば、祖父に倣った「ハロルド」の名を有していたという[1]

A.ナザレンコ(ru)は、ギータはケルンの修道院の1つと関係を持つ人物であり、ゴドフロワ・ド・ブイヨンと共に第1回十字軍に参加、その最中に死亡しエルサレムに埋葬されたと推測している。また、その1年後にウラジーミル・モノマフが別の女性と結婚していることから、没年は1098年の可能性が最も高いと推測している。

別の説では、ギータは1107年スモレンスクで死亡したという[1]

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夫はウラジーミル・モノマフ。子には以下の人物がいる。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 「フランドル伯国」はロシア語: Графство Фландрияの直訳による。詳しくはru:Фландрия (графство)参照。
  2. ^ 「Svend」はデンマーク語表記による。詳しくはru:Свен II Эстридсен参照。
  3. ^ Λέων Διογένης」はギリシャ語表記による。詳しくはru:Лев Диоген参照。

出典[編集]

  1. ^ a b Пашуто В. Т.(1968),p134

参考文献[編集]

  • Назаренко А. В. Древняя Русь на международных путях. — М., 2001.
  • Пашуто В. Т. Внешняя политика Древней Руси. — М.: Наука, 1968.