ギルバート・エリオット=マーレイ=キニンマウンド (第2代ミントー伯爵)

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第2代ミントー伯爵ギルバート・エリオット=マーレイ=キニンマウンド
Gilbert Elliot-Murray-Kynynmound, 2nd Earl of Minto
生年月日 1782年11月16日
没年月日 1859年7月31日
出身校 ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジ
所属政党 ホイッグ党
称号 バス勲章勲爵士 (GCB)
枢密顧問官 (PC)
配偶者 メアリ・ブライドン
親族 初代ミントー伯爵 (父)
初代ラッセル伯爵 (娘婿)
第4代ミントー伯爵 (孫)

内閣 第2次第3次メルバーン内閣
在任期間 1835年9月15日 - 1841年9月
国王 ウィリアム4世ヴィクトリア

内閣 第1次ラッセル内閣
在任期間 1846年7月6日 - 1852年2月
国王 ヴィクトリア
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第2代ミントー伯爵ギルバート・エリオット=マーレイ=キニンマウンド: Gilbert Elliot-Murray-Kynynmound, 2nd Earl of Minto1782年11月16日 - 1859年7月31日)は、イギリスの政治家・外交官。バス勲章ナイト・グランド・クロス勲爵士、枢密顧問官。父親がミントー伯爵に叙された1813年から自身が襲爵する1814年までは、「メルガンド子爵」の儀礼称号で称されていた。

経歴[編集]

後に初代ミントー伯爵となるサー・ギルバート・エリオット準男爵の長男として生まれる[1]。母親のアンナ・マリア・アミアンドは、イギリス東インド会社の取締役やバーンスタプル英語版選出庶民院議員を務めたサー・ジョージ・アミアンド英語版準男爵の娘。イートン・カレッジを経てケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジ英語版卒業[2]

1806年から1807年までデヴォン州のアシュバートン英語版選挙区選出の、1812年から1814年までロックスバラシャー英語版州選挙区選出のホイッグ党所属庶民院議員[3]。1814年に父の死去によりミントー伯爵を相続し、貴族院議員となる。1832年より1834年までプロイセン駐箚イギリス特命全権公使英語版[4]1835年、第2代メルバーン子爵ウィリアム・ラム第2次内閣英語版において第2代オークランド男爵ジョージ・イーデンの後任の海軍卿First Lord of the Admiralty[注釈 1]となり入閣。続く第3次メルバーン内閣英語版でも引き続き海軍卿となり、1841年まで務めた。1846年から1852年まで、ジョン・ラッセル卿(後の初代ラッセル伯爵)の第1次内閣英語版では王璽尚書として入閣した[5]。彼のホイッグ党内の影響力は、ラッセルの義父であることも関係していた。

1832年枢密顧問官に列せられ[6]1834年バス勲章ナイト・グランド・クロスを授けられた[7]

1859年7月31日に死去。長男のウィリアム英語版がミントー伯爵を相続した。

家族[編集]

旅行記作家パトリック・ブライドン英語版の娘のメアリ・ブライドン(1853年7月21日歿)と1806年に結婚、五男五女をもうけた[1]。次男のサー・ヘンリー・エリオット英語版は外交官となり、1876年から翌1877年にかけてイスタンブールで開催されたコンスタンティノープル会議英語版に第3代ソールズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシルとともにイギリス代表として出席した。三男のサー・チャールズ・エリオット英語版は海軍に入り、最終的に海軍元帥に任じられた。四女のレディ・フランシス・エリオットは初代ラッセル伯爵ジョン・ラッセルと結婚した。

注釈[編集]

  1. ^ 他国の海軍大臣に相当する役職。海軍本部 (イギリス)#ファースト・ロード(First Lord of the Admiralty)を参照。

出典[編集]

  1. ^ a b Lundy, Darryl. “Gilbert Elliot-Murray-Kynynmound, 2nd Earl of Minto” (英語). The Peerage. 2010年10月11日閲覧。
  2. ^ "Elliot, Gilbert (ELT803G)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  3. ^ Henry, D. G. (1986年). "ELLIOT MURRAY KYNYNMOUND, Hon. Gilbert (1782-1859), of Minto, Roxburgh.". In Thorne, R. G. (ed.). The History of Parliament: the House of Commons 1790-1820. London: Secker & Warburg. 2013年8月7日閲覧
  4. ^ "No. 18957". The London Gazette (英語). 20 July 1832. p. 1673. 2013年8月6日閲覧
  5. ^ "No. 20620". The London Gazette (英語). 7 July 1846. p. 2497. 2013年8月6日閲覧
  6. ^ "No. 18967". The London Gazette (英語). 17 August 1832. p. 1878. 2013年8月6日閲覧
  7. ^ "No. 19194". The London Gazette (英語). 19 September 1834. p. 1695. 2013年8月6日閲覧

外部リンク[編集]

先代
第2代オークランド男爵
海軍卿
1835年 - 1841年
次代
第9代ハディントン伯爵
先代
第9代ハディントン伯爵
王璽尚書
1846年 - 1852年
次代
第2代ソールズベリー侯爵
先代
ギルバート・エリオット=マーレイ=キニンマウンド
ミントー伯爵
第2代: 1814年 - 1859年
次代
ウィリアム・エリオット=マーレイ=キニンマウンド