ギヨーム4世 (ルクセンブルク大公)
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| ギヨーム4世 Guillaume IV |
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| ルクセンブルク大公 | |
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| 摂政 | マリー=アンヌ・ド・ポルテュガル |
| 先代 | アドルフ |
| 次代 | マリー=アデライド |
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| 出生 | 1852年4月22日 ドイツ、ナッサウ、ヴィースバーデン、ビーブリヒ城 |
| 死亡 | 1912年2月25日(満59歳没) |
| 埋葬 | ルクセンブルク、ルクセンブルク、ノートルダム大聖堂 |
| 実名 | Wilhelm Alexander ヴィルヘルム・アレクサンダー |
| 王室 | ナッサウ=ヴァイルブルク家 |
| 父親 | アドルフ |
| 母親 | アデライード=マリー・ダナル=デソー |
| 配偶者 | マリー=アンヌ・ド・ポルテュガル |
| 子女 マリー=アデライド シャルロット イルダ アントニア エリザベート ソフィー |
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| 居所 | 大公宮殿 |
| 信仰 | キリスト教プロテスタント |
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ギヨーム4世(仏:Guillaume IV, 1852年4月22日 - 1912年2月25日)は、ルクセンブルク大公(在位:1905年 - 1912年)。オランダ王を兼ねていたヴィレム(ウィレム)1世、同2世、同3世にならってオランダ語名でヴィレム(ウィレム)4世(Willem IV)と呼ばれることもある。ドイツ名はヴィルヘルム(Wilhelm)。ナッサウ公、のちのルクセンブルク大公アドルフと妃アーデルハイト・マリー・フォン・アンハルト=デッサウの長子。父がナッサウ公であった時代に生まれ、公位継承者とされていたが、1866年にナッサウ公国はプロイセン王国に併合されたため、父とともに廃された。のち、1890年に父が新たにルクセンブルク大公に迎えられたことでその継承者となり、1905年に父の死去によりルクセンブルク大公位に就いた。
1893年、ポルトガルの廃王ミゲル1世の娘マリア・アナ(マリー・アンヌ)と結婚し、6人の娘が生まれたが、男子は得られなかった。そこで、それまで女子の継承を認めていなかった継承法が改正され、1907年に長女マリー=アデライドが継承者とされた。1912年にギヨーム4世が死去するとマリー=アデライドが即位したが、1919年に退位を余儀なくされ、代わって妹(ギヨーム4世の次女)シャルロットが即位した。
[編集] 子女
妻マリー=アンヌとの間に6人の娘をもうけた。
- マリー=アデライード(1894年 - 1924年) ルクセンブルク大公。1919年に退位後、修道女となった。
- シャルロット(1896年 - 1985年) ルクセンブルク大公。
- イルダ(1897年 - 1979年) シュヴァルツェンベルク侯アドルフの妻。
- アントニア(1899年 - 1954年) バイエルン王太子ループレヒトの2度目の妃。
- エリザベート(1901年 - 1950年) トゥルン・ウント・タクシス侯子ルートヴィヒ・フィリップ(トゥルン・ウント・タクシス侯アルベルトの四男)の妻。
- ソフィー(1902年 - 1941年) ザクセン王子エルンスト・ハインリヒの妻。
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