ギターロ (潜水艦)

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USS Guitarro;0836306.jpg
艦歴
発注
起工 1943年4月7日[1]
進水 1943年8月29日[1]
就役 1944年1月26日[1]
1952年2月6日[1]
1954年5月15日[1]
退役 1945年12月6日[1]
1953年9月22日[1]
1954年8月7日[1]
除籍 1972年1月1日[1]
その後 1954年8月7日トルコ海軍に貸与
1972年1月1日にトルコ海軍に売却後、1972年5月4日に解体[1][2]
性能諸元
排水量 1,525トン(水上)[2]
2,424トン(水中)[2]
全長 307 ft (93.6 m)(水線長)
311 ft 9 in (95.02m)(全長)[2]
全幅 27.3 ft (8.31 m)[2]
吃水 17.0 ft (5.2 m)(最大)[2]
機関 ゼネラル・モーターズ278A16気筒ディーゼルエンジン 4基[2]
ゼネラル・エレクトリック2,740馬力発電機2基[2]
最大速 水上:21 ノット (39 km/h)[3]
水中:9 ノット (17 km/h)[3]
航続距離 11,000カイリ(10ノット時)
(19 km/h 時に 20,000 km)[3]
試験深度 300 ft (90 m)[3]
巡航期間 潜航2ノット (3.7 km/h) 時48時間、哨戒活動75日間[3]
乗員 (平時)士官6名、兵員54名[3]
兵装 (竣工時)4インチ砲1基、20ミリ機銃2基、50口径機銃2基[4]
21インチ魚雷発射管10基

ギターロ (USS Guitarro, SS-363) は、アメリカ海軍潜水艦ガトー級潜水艦の一隻。艦名はエイの一種、ギターロ英語版に因む。

艦歴[編集]

ギターロは1943年4月7日にウィスコンシン州マニトワックマニトワック造船で起工する。9月26日にロス・T・マッキンタイア夫人(外科・薬事局長の妻)によって進水し、艦長エンリケ・D・ハスキンズ少佐(アナポリス1933年組)の指揮下1944年1月26日に就役する。ギターロは2月13日にマニトワックを出航し、浮きドックに入れられ曳船ミネソタによってニューオーリンズまで曳航され、2月22日に到着。同地で航海の準備をする。3月1日にニューオーリンズを出航しパナマ運河地帯バルボアで数週間活動した後、4月2日に真珠湾に向けて出航し4月17日に到着、哨戒の準備を行った。

第1の哨戒 1944年5月 - 6月[編集]

5月7日、ギターロは最初の哨戒で台湾近海に向かった。5月30日夕刻、ギターロは北緯24度32分 東経123度24分 / 北緯24.533度 東経123.400度 / 24.533; 123.400与那国島近海で「照月型駆逐艦」と2隻の小型護衛艦を配した輸送船団を発見[5]。魚雷を3本発射し、魚雷は輸送船四川丸東亜海運、2,201トン)に2本が命中してこれを撃沈した[6]。ギターロは護衛艦の反撃を回避したあと、フランク・W・フェンノ中佐(アナポリス1925年組)が指揮するウルフパック「フェンノズ・フェレッツ Fenno's Ferrets」の潜水艦、ピクーダ (USS Picuda, SS-382) 、ピート (USS Peto, SS-265) 、パーチ (USS Perch, SS-313) の3隻と共に南に向かった[7]。合流して間もない6月2日未明、ギターロは北緯22度42分 東経121度24分 / 北緯22.700度 東経121.400度 / 22.700; 121.400火焼島北西15キロ地点でヒ65船団を発見し、タンカーに向けて魚雷を6本発射したが、その魚雷を発見した海防艦淡路が船団旗艦軽巡洋艦香椎に「魚雷発見」を報告した直後に雷跡に入り込み、魚雷が命中した淡路は轟沈した[8][9][10]。また、外れた魚雷のうち、1本が輸送船有馬山丸三井船舶、8,697トン)に命中した[10][11]。「1万トン級タンカー撃沈」と判定したギターロ[12]は水上艦艇の爆雷攻撃及び航空機からの攻撃を回避するため潜航したが、船団側は被雷した有馬山丸と陸軍特殊船神州丸が衝突事故を起こすなど支離滅裂となり、反撃どころではなかった[13]。ギターロは昼前に再度接触して空母海鷹などの姿を確認したが、航空機の哨戒が厳しく確認だけで終わった[14]。夜に入って、北緯22度33分 東経121度15分 / 北緯22.550度 東経121.250度 / 22.550; 121.250の地点で「峯風型駆逐艦」の姿を艦尾方向に発見し、魚雷を2本発射して1本の命中を確認し、「峯風型駆逐艦」の撃沈と判定された[15]。6月19日、ギターロはダーウィンに到着し、給油を行って2日後に出港[16]。6月27日、ギターロは51日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。

第2の哨戒 1944年7月 - 9月[編集]

7月21日、ギターロは2回目の哨戒で南シナ海に向かった。8月7日夜、ギターロは北緯14度50分 東経119度58分 / 北緯14.833度 東経119.967度 / 14.833; 119.967バターン半島沖30海里の地点で、ミ13船団から分離した掃討隊を発見した[17][18]。「時雨型駆逐艦」と「吹雪型駆逐艦」に対して魚雷を3本ずつ計6本発射し、「吹雪型駆逐艦」への3つの命中を確認した[19]。この攻撃で、船団後方を警戒航行していた海防艦草垣を撃沈したが[18][20]、船団本体はこの間にマニラ湾に入っていった。翌8月8日、ギターロは北緯15度16分 東経119度57分 / 北緯15.267度 東経119.950度 / 15.267; 119.950ルソン島沿岸で700トン級哨戒艇を砲撃で沈めたあと、レイトン (USS Raton, SS-270) との邂逅点であるルソン島ボリナオ岬に向かった[21]。合流後、8月10日には北緯16度17分 東経119度46分 / 北緯16.283度 東経119.767度 / 16.283; 119.767の地点を航行するマタ26船団を発見し、魚雷を4本発射して「香取型巡洋艦」と4,000トン級輸送船の撃破を報じる[22]。この攻撃で、タンカー進栄丸(日東汽船、5,135トン)に魚雷が命中して沈没した[23]。ギターロは爆雷攻撃を避けるため潜航したあと、昼過ぎに「吹雪型駆逐艦」に対して魚雷を4本発射し、2本が命中して目標は沈没したと判定された[24]。爆雷攻撃で外殻にかなりの損害を受けたものの深刻な被害はなく、浮上後、ギターロはレイトンと共にカラビテ岬近海に向かった[25]。8月21日朝、ギターロは遠方で爆雷が炸裂する音を聴取した[26]レイ (USS Ray, SS-271) がミンドロ島パルアン湾から出航してきたミ12船団を攻撃したことを示すものであり、ほどなくミ12船団本体を発見した[27]。ギターロは北緯13度21分 東経120度18分 / 北緯13.350度 東経120.300度 / 13.350; 120.300の地点で2隻のタンカーを目標に選んだが攻撃の機会を逸したものの、すぐに目標を切り替えて魚雷を4本発射し、うち2本が輸送船宇賀丸(松岡汽船、4,433トン)に命中して宇賀丸は船体が3つに割れて轟沈した[28][29]。激しい爆雷攻撃が起こったが、ギターロは裏をかくが如く爆雷攻撃の中をすり抜けて戦場を去った。8月27日午後、ギターロは北緯12度47分 東経120度06分 / 北緯12.783度 東経120.100度 / 12.783; 120.100ミンドロ海峡で3隻の小型タンカーを発見し、まず魚雷を2本発射したが命中せず、浮上砲戦で片付けることにした[30]。浮上砲戦の末、タンカー第二十七南進丸(南方油槽船、834トン)を撃沈し、第三南進丸(南方油槽船、834トン)と第二十五南進丸(南方油槽船、834トン)に損傷を与えた[31][32]。9月8日、ギターロは48日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。

第3の哨戒 1944年10月 - 11月[編集]

香久丸(1938年)

10月8日、ギターロは3回目の哨戒でブリーム (USS Bream, SS-243) とともに南シナ海に向かった。10月23日深夜から24日未明にかけて、ギターロは北緯12度58分 東経119度23分 / 北緯12.967度 東経119.383度 / 12.967; 119.383の地点で、レイテ島沖に向けてミンドロ海峡を通過中の栗田健男中将率いる第二遊撃部隊を探知し、同時期に探知したアングラー (USS Angler, SS-240) とともに、司令部に重要な情報を送り続けた[33][34]。これらの情報は有効に生かされ、レイテ沖海戦でのアメリカ海軍の勝利に貢献した[33]。10月30日、ギターロはブリーム、レイトン (USS Raton, SS-270) と合流し、午後にサンバレス州沿岸でモマ05船団を発見した[35]。3隻は翌朝にモマ05船団を攻撃し、ギターロは魚雷を4本ずつ計8本発射、魚雷は2隻の輸送船、ぱしふいっく丸(玉井商船、5,872トン)と広明丸(広海汽船、2,857トン)に命中してこれらを撃沈した[36][37]

11月4日には、北緯15度55分 東経119度44分 / 北緯15.917度 東経119.733度 / 15.917; 119.733のルソン島沿岸ダソル英語版湾沖でタマ31A号船団を発見した。船団は特設運送船香久丸大阪商船、6,806トン)と二等輸送艦4隻で構成されていた。ウルフパックは二等輸送艦には目もくれず、香久丸を攻め立てた。まずレイトンが香久丸に対して魚雷を6本発射したが回避された[38]。ギターロはレイトンに続いて接近し、魚雷を4本発射して1本を香久丸に命中させた[39]。三番手としてブリームが魚雷を4本発射し、1本が命中し香久丸は大火災が発生して航行不能となる[40][41]。その後、タマ31A船団に接近していたレイ (USS Ray, SS-271) が航行不能の香久丸に対して魚雷を2本発射し、2本とも命中させて香久丸を撃沈した[42]。レイトンは先んじてタマ31A船団を探知していたものの魚雷を外したことが明らかだったため、香久丸撃沈の戦果はギターロ、ブリームおよびレイに三等分された[43]

11月6日、ギターロ、ブリーム、レイとレイトンは重巡洋艦熊野青葉の2隻を含んだマタ31船団を発見[44]。ギターロは北緯15度55分 東経119度44分 / 北緯15.917度 東経119.733度 / 15.917; 119.733の地点で艦首と艦尾の発射管から魚雷を計10本発射し、3本を「愛宕型重巡洋艦」に命中させたと判定[45]。続いてブリームが北緯16度01分 東経119度43分 / 北緯16.017度 東経119.717度 / 16.017; 119.717の地点で魚雷を4本発射して「14,000トン級重巡洋艦」に2本命中させたと判定される[46]。レイトンとレイはブリームが攻撃して約1時間後に相前後して攻撃し、レイトンは魚雷を6本発射して2本か3本を熊野に命中させたと報告し[47]、レイも魚雷を4本発射して、2本を熊野に命中させたと報告した[48]。夜に入り、レイが「被雷した最上型巡洋艦はダソル湾に逃げ込んだだろう」と報告した[49]。攻撃直後、ギターロは駆潜艇から爆雷攻撃を受け、レーダーを破壊される被害を受けたが致命的な損傷は受けず、何とか哨戒を続けることができた[50]。11月16日、ギターロは38日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がトーマス・B・ダブニー少佐(アナポリス1936年組)に代わった。

第4、第5の哨戒 1944年12月 - 1945年5月[編集]

12月11日、ギターロは4回目の哨戒で南シナ海に向かった。ロンボク海峡を12月17日に通過したあと哨戒海域に到着した[51]。12月28日に北緯11度50分 東経109度30分 / 北緯11.833度 東経109.500度 / 11.833; 109.500の地点で「戦艦」1隻、「重巡洋艦」1隻を含む艦隊を遠方に発見するが[52]、修理のため1945年1月17日に一旦ミオス・ウンディ島に戻る[53]。修理後、1月30日にミオス・ウンディ島を出撃して哨戒を再開[54]。2月17日、ギターロは北緯15度12分 東経108度54分 / 北緯15.200度 東経108.900度 / 15.200; 108.900のバタンガン岬沖で輸送船団を発見して日付が2月18日に変わった直後に魚雷を3本発射し、命中音も聴取して大型輸送船1隻の撃沈を報じた[55]。3月15日、ギターロは83日間の哨戒を終えてフリーマントルに帰投した。

4月9日、ギターロは5回目の哨戒で南シナ海に向かった。4月15日、ギターロはロンボク海峡を通過中に監視艇と航空機の攻撃を受けたが切り抜けた[56]。4月20日、日本海軍の根拠地であるリンガ泊地の南の入口に当たるベルハラ島近海に到達したギターロは、南緯01度00分 東経104度30分 / 南緯1.000度 東経104.500度 / -1.000; 104.500の地点を中心に23個の機雷を敷設した[57]。その後はボルネオ島シンガポール間で哨戒を行ったが、この時期、この周辺には目ぼしい艦船はほとんど残っておらず、これといった出来事もなく攻撃機会もなかった[58]。ギターロは本国への帰還命令を受け、その途中の5月27日にサイパン島に寄港した[59]。6月8日、ギターロは61日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。その後サンフランシスコに回航され6月18日に到着し、同地で終戦を迎えた。

戦後・トルコ海軍で[編集]

TCG Preveze;0836308.jpg

ギターロは12月6日に予備役艦となり、メア・アイランド海軍造船所で保管されることとなった。その後、1952年2月6日に再就役し、サンディエゴでのオーバーホール後、1953年9月10日まで海岸沿いに訓練演習を行う。1953年9月22日に再び予備役となり、メア・アイランド海軍造船所でフリート・シュノーケル改修が行われる。1954年5月15日に再就役し、相互防衛援助計画の下トルコ海軍に貸与するため、トルコ海軍の水兵を訓練する。ギターロは1954年8月7日に退役、同日トルコ海軍に貸与されプレヴェゼ (TCG Preveze) の艦名で任務に就いた。当初の艦番号は S 22 であったが、1965年に S 340 に変更された。1972年1月1日に艦はトルコに正式売却され、続いてスクラップとして廃棄された。

ギターロは第二次世界大戦の戦功で4個の従軍星章および1個の海軍殊勲部隊章を受章した。ギターロの第1、第2、第3および第5回目の哨戒は成功として記録された。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j #Friedman pp.285-304
  2. ^ a b c d e f g h #Bauer
  3. ^ a b c d e f #Friedman pp.305-311
  4. ^ #SS-363, USS GUITARRO p.16,56
  5. ^ #SS-363, USS GUITARRO p.9
  6. ^ #SS-363, USS GUITARRO pp.22-23
  7. ^ #SS-363, USS GUITARRO pp.10-11
  8. ^ #SS-363, USS GUITARRO pp.11-12, pp.24-25
  9. ^ #海防艦戦記 p.204
  10. ^ a b #駒宮 (1987) p.183
  11. ^ #SS-363, USS GUITARRO p.12
  12. ^ #SS-363, USS GUITARRO p.24
  13. ^ #駒宮 (1987) pp.183-184
  14. ^ #SS-363, USS GUITARRO p.13
  15. ^ #SS-363, USS GUITARRO p.14, pp.26-27
  16. ^ #SS-363, USS GUITARRO pp.17-18
  17. ^ #SS-363, USS GUITARRO p.43
  18. ^ a b #一護1908 p.6
  19. ^ #SS-363, USS GUITARRO p.44, pp.66-69
  20. ^ #海防艦戦記 pp.257-258
  21. ^ #SS-363, USS GUITARRO pp.45-46, p.79
  22. ^ #SS-363, USS GUITARRO pp.47-48, pp.70-72
  23. ^ #一護1908 p.50
  24. ^ #SS-363, USS GUITARRO p.49, pp.73-74
  25. ^ #SS-363, USS GUITARRO pp.49-50
  26. ^ #SS-363, USS GUITARRO p.51
  27. ^ #SS-363, USS GUITARRO p.52
  28. ^ #SS-363, USS GUITARRO pp.53-54, pp.75-76
  29. ^ #駒宮 (1987) p.234
  30. ^ #SS-363, USS GUITARRO p.55
  31. ^ #SS-363, USS GUITARRO p.56, pp.77-78, pp.80-81
  32. ^ Chapter VI: 1944” (英語). The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II. HyperWar. 2012年12月29日閲覧。
  33. ^ a b #木俣戦艦 p.441
  34. ^ #SS-363, USS GUITARRO pp.96-98, p.113
  35. ^ #SS-363, USS GUITARRO p.101
  36. ^ #SS-363, USS GUITARRO pp.102,104, pp.117-119
  37. ^ #一護1910 p.60
  38. ^ #SS-270, USS RATON, Part 1 p.195, pp.220-221
  39. ^ #SS-363, USS GUITARRO pp.105-106, pp.120-121
  40. ^ #SS-243, USS BREAM p.119, pp.142-143
  41. ^ #駒宮p.287
  42. ^ #SS-271, USS RAY, Part 2 pp.22-23
  43. ^ #Roscoe p.564
  44. ^ #SS-363, USS GUITARRO p.108
  45. ^ #SS-363, USS GUITARRO pp.108-109, pp.122-124
  46. ^ #SS-243, USS BREAM pp.120-121, pp.143-145
  47. ^ #SS-270, USS RATON, Part 1 pp.222-223
  48. ^ #SS-271, USS RAY, Part 2 pp.24-26
  49. ^ #SS-243, USS BREAM pp.121-122
  50. ^ #木俣敵潜1989 pp.263-264
  51. ^ #SS-363, USS GUITARRO pp.141-142
  52. ^ #SS-363, USS GUITARRO p.144,153
  53. ^ #SS-363, USS GUITARRO p.151
  54. ^ #SS-363, USS GUITARRO p.166
  55. ^ #SS-363, USS GUITARRO pp.171-174, pp.191-192
  56. ^ #SS-363, USS GUITARRO p.211
  57. ^ #SS-363, USS GUITARRO p.209,212, pp.294-297
  58. ^ #SS-363, USS GUITARRO p.225
  59. ^ #SS-363, USS GUITARRO p.220

参考文献[編集]

  • Roscoe, Theodore. United States Submarine Operetions in World War II. Annapolis, Maryland: Naval Institute press. ISBN 0-87021-731-3. 
  • 財団法人海上労働協会(編) 『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』 財団法人海上労働協会/成山堂書店、2007年(原著1962年)。ISBN 978-4-425-30336-6
  • Blair,Jr, Clay (1975). Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan. Philadelphia and New York: J. B. Lippincott Company. ISBN 0-397-00753-1. 
  • 海防艦顕彰会(編) 『海防艦戦記』 海防艦顕彰会/原書房、1982年
  • 木俣滋郎 『日本戦艦戦史』 図書出版社、1983年
  • 駒宮真七郎 『戦時輸送船団史』 出版協同社、1987年ISBN 4-87970-047-9
  • 木俣滋郎 『敵潜水艦攻撃』 朝日ソノラマ1989年ISBN 4-257-17218-5
  • Bauer, K. Jack; Roberts, Stephen S. (1991). Register of Ships of the U.S. Navy, 1775-1990: Major Combatants. Westport, Connecticut: Greenwood Press. pp. 271-273. ISBN 0-313-26202-0. 
  • Friedman, Norman (1995). U.S. Submarines Through 1945: An Illustrated Design History. Annapolis, Maryland: United States Naval Institute. ISBN 1-55750-263-3. 
  • 松井邦夫 『日本・油槽船列伝』 成山堂書店、1995年ISBN 4-425-31271-6
  • 野間恒 『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』 野間恒(私家版)、2004年
  • 林寛司(作表)、戦前船舶研究会(資料提供)「特設艦船原簿/日本海軍徴用船舶原簿」、『戦前船舶』第104号、戦前船舶研究会、2004年、 92-240頁。

外部リンク[編集]