キョウエイウオリア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
キョウエイウオリア
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1979年5月22日
バーバー
カリーアターフ
生国 日本
生産者 タケミファーム
馬主 松岡正雄
調教師 中村均栗東
競走成績
生涯成績 56戦7勝
(平地)12戦0勝
(障害)44戦7勝
獲得賞金 2億7886万4000円
テンプレートを表示

キョウエイウオリアは、日本競走馬である。1989年中山大障害(春)に優勝し、中央競馬史上初めて11歳馬(現・10歳馬)による重賞勝利を達成した。

経歴[編集]

デビュー~1983年[編集]

1982年2月に阪神競馬場の4歳新馬戦で初出走を迎えたが、スタート直後に躓き騎手落馬により競走を中止する。その後、同年9月までにダート中距離戦を中心に出走したが勝利することはできず、平地12戦未勝利の成績で障害競走に転向した。10月の障害初戦は後方のまま7着に敗れたが、12月11日の障害未勝利戦を2着に2馬身差で勝利すると、同26日に400万以下もハナ差で連勝してオープン入りする。

1983年は障害オープンを7着、5着と敗れた後に阪神障害ステークス(春)に出走。5番人気という評価だったが、レースでは先行から押し切り、2着のオサイチセンチに半馬身の差をつけて重賞初勝利を挙げた。しかし、続く阪神の障害オープンでは再びスタート直後に落馬競走中止となり、その後肩不安により10ヶ月の休養に入った。

1984~1986年[編集]

1984年2月のオープンで復帰したが、11頭立ての9着と惨敗し、阪神障害ステークス(春)、京都大障害(春)でもそれぞれ中段のまま4着、6着に敗れた。それからの2年間は目立った成績を残せず、重賞での連対やオープンでの勝利がない状況が続いた。しかし、1986年5月の阪神の障害勝入で先頭から逃げ切り3年3ヶ月ぶりに勝利すると、3ヶ月の休養後、9月の阪神障害ステークス(秋)に出走。序盤からわずかなリードを取って逃げ、最終第2コーナーからトウメイスキーに並びかけられるが、最終障害でトウメイスキーが大きく外に振られると、キョウエイウオリアが内から抜け出してトウメイスキーに2馬身差で同レース2勝目を挙げた。

続く東京障害特別(秋)では他馬より4.5kg以上重い61.5kgながら1.8倍の1番人気に支持された。レースではフライングでスタートしたハッピーウォーリアとユーコーフラッシュを見ながら3番手でレースを進めたが、最終第3コーナーで5番手まで下がり、最後直線で盛り返したが優勝したハッピーウォーリアから6馬身差の3着に敗れた。その後繋靭帯炎を発症し1年1ヶ月の休養を強いられた。

1987年~1988年[編集]

1987年11月に復帰。ここは4着となるが2戦目の阪神競馬場の障害勝入で勝利。[注釈 1]そして次走として翌1988年の東京障害特別(春)に出走した。襷コースの大竹柵を過ぎて先頭に立ったが、向こう正面最初の生垣の飛越で後続に抜かれ4着。オープンをはさんで東京大障害[注釈 2]に出走し、直線手前でカルストンイーデンを捕らえて先頭に立ったが、直後にメジロアイガー、残り100mでシノンシンボリにも抜かれて3着という成績だった。

秋シーズン初戦の阪神障害ステークスでは水濠で大きくトモを落とし5着、2戦目のオープンは1周目の向こう正面の竹柵で競走中止と不調であり、10歳にして初めて出走した中山大障害では、逃げるカルストンイーデンを見ながら2番手の位置にいたが最後の向こう正面でヤマニンアピールにかわされ、そのヤマニンアピールから1.1秒差の3着に終わった。

1989年[編集]

年明け初戦として2月の東京障害特別(春)に出走。大外13番枠からのスタートながら最初の障害の手前ですでに2番手となり、最後の直線で先頭のブライトプリンスをかわそうとしたところ外からエイシンフェアリーに一気に抜かれ、最後はエイシンフェアリーから1.8秒の大差で2着となった。そして迎えた中山大障害(春)ではそのエイシンフェアリーが単勝1.3倍の断然の1番人気となったが、エイシンフェアリーは1周目の1、2コーナー中間の生垣でアルゴシンボリを巻き添えにして転倒した。キョウエイウオリアは逃げるアサクサステージを見ながら2番手を追走。そして大生垣の飛越でアサクサステージを抜いて先頭に立つと最後の坂路を越えて並びかけようとしたチャーチルシンボリを振り切り、最後伸びてきたメジロマスキットに2馬身の差をつけて優勝した。11歳馬による重賞勝利は中央競馬史上初であり一般競走を含めても初めての勝利だった。[注釈 3]

8ヶ月の休養後、中山大障害(秋)に休み明けで出走。大竹柵で先頭のオギトレモントが転倒、3番手のアローフォンテンも騎手が落馬したため一時、大きなリードを取って逃げるかたちになったが、大生垣手前の坂路でシンボリモントルーに先頭を譲るとそれからは後退し、最後は優勝したメジロマスキットから5.4秒差の4着に終わり、この競走を最後に引退した。

競走成績[編集]

  • 1982年 16戦2勝(うち平地12戦0勝)
  • 1983年 4戦1勝
    • 阪神障害ステークス(春)
  • 1984年 9戦0勝出走取消1回
  • 1985年 8戦0勝
  • 1986年 7戦2勝
    • 阪神障害ステークス(秋)
  • 1987年 2戦1勝
  • 1988年 7戦0勝
  • 1989年 3戦1勝
    • 中山大障害(春)、2着-東京障害特別(春)

血統表[編集]

キョウエイウオリア血統プリンスリーギフト系/Blandford 5×5=6.25%(父内)、Gainsborough 5×5=6.25%) (血統表の出典)

*バーバー
Berber
1965 黒鹿毛
父の父
Princely Gift
1951 鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Blue Gem Blue Peter
Sparkle
父の母
Desert Girl
1950 鹿毛
Straight Deal Solario
Good Deal
Yashmak Easton
Zelina

カリーアターフ
1969 栗毛
*マタドア
Matador
1953 栗毛
Golden Cloud Gold Bridge
Rainstorm
Spanish Galantry Mazarin
Courtship
母の母
*スヰートソング
Sweet Song
1957 黒鹿毛
Targui Djebel
Palencia
Clarinet Bahershah
Sweet Music F-No.20-a


脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ここまでの障害6勝は全て阪神競馬場での勝利である。
  2. ^ 中山大障害の代替開催。
  3. ^ キョウエイウオリアは生後9年322日での勝利、これは2005年中山グランドジャンプカラジ(10年55日)によって破られた。その後カラジは同競走を3連覇して12歳(旧13歳)まで記録を伸ばした。

出典[編集]

外部リンク[編集]