キャロル・ケイ

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キャロル・ケイ(Carol Kaye1935年3月24日 -)は、アメリカのベーシストギタリスト、教育者。アメリカ合衆国ワシントン州エヴァレット出身。

概要[編集]

ミュージシャンの両親の下に生まれ、10代からプロのジャズ・ギタリストとして活躍。1960〜70年代には、ロサンゼルスのセッション・ミュージシャンとして、1万曲以上のレコーディングに参加する。当時のヒットソング、映画音楽でその演奏を聴くことができる。1970年代から音楽教育の道に進み、多くの出版物を刊行。大学の教壇にも立ち後進を育成した。

モータウンとの関わり[編集]

1960年代中期以降、デトロイトに拠点を置くモータウンからハリウッドのスタジオに仕事が入るようになり、LA musicians union(LAで活動するミュージシャンの印税・年金等を管理する労働組合)に所属していたキャロル・ケイをはじめとする多くのセッション・ミュージシャン(後にWrecking crewといわれる)がレコーディングに参加。モータウンは1972年に本社をロサンゼルスに移転するが、実際はその数年前からハリウッドで多くの録音作業が行われていた。そして、当時、ハリウッド録音のモータウン楽曲でベースパートのほとんどをプレイしたのがキャロル・ケイであった。モータウンではマーヴィン・ゲイのアルバム『ホワッツ・ゴーイング・オン 英語版』まで演奏者の名前が記されなかったため、誰がどの曲でベースを演奏したかについて多くの議論が交わされているが、キャロル・ケイの場合、組合の支払調書などからスプリームスダイアナ・ロス、フォートップス、マーヴィン・ゲイ&タミー・テレル、テンプテーションズほかの曲でプレイしたことが証明されている。 ハリウッドのスタジオでは業者向けに披露した有象無象のデモ演奏がそのまま曲に使われたケースも多い。過重労働を防ぐ組合の規約により、ミュージシャンはトラックダウン作業に参加できなかったため、どの曲に自分の演奏が使われたのかわからないのが実情という。実際は、支払調書で証明されたもの以外でも様々な曲に関わっていると考えられる。 1970年代以降、ジェームス・ジェマーソンとは面識があったようで、ロサンゼルスに転居した彼を丁重に迎え入れたとジョー・パスのアルバム『Better Days』のライナーノーツで語っている。

ギタリストとして[編集]

1949年から、ロサンゼルスのジャズクラブでプロ活動をスタート。Bob Neal's jazz groupほか、当時のトップバンドに所属。1957年に、サム・クックのレコーディングに参加して以来、スタジオ・ミュージシャンの道に進む。代表曲はザ・ビーチ・ボーイズの「Surfin' USA」。フランク・ザッパのバンドにも一時期加入しており、『Freak Out!』では12弦ギターを演奏。しかし、歌詞の内容を巡る見解の相違からバンドを去っている。

使用機材[編集]

  • エンペラー(エピフォン)
  • RG321(アイバニーズ) ※カスタムネック & セイモアダンカン Alnico Pro II P/U,
  • SG(ギブソン)
  • Benson Flats Strings for Jazz playing(トマスティック・インフェルド)

ベーシストとして[編集]

1963年に、キャピトルレコードのコンサートで偶然に代役を務めたことがきっかけでベースを演奏。そのプレイは高く評価され、以後、ベーシストとしての仕事が中心になる。商業音楽では、レイ・チャールズザ・ビーチ・ボーイズモータウン関連アーティストほか当時のビルボードにランクインした多くのヒットソングで演奏。また、テレビ・映画音楽でもクインシー・ジョーンズラロ・シフリンなどのもとで膨大な数のレコーディングに参加している。 ザ・ビーチ・ボーイズとの関係は親密であり、リーダーのブライアン・ウィルソンは自身の代わりにキャロル・ケイが多くの曲でベースを演奏していたことを認めている。名盤『ペット・サウンズ』では、キャロル・ケイの名前が演奏者としてクレジットされている。また、クインシー・ジョーンズは、キャロル・ケイが生涯No.1のベーシストであると述べている。

演奏上の特徴[編集]

ギターと同様にピックで演奏する。ティアドロップタイプの細くて厚みのある専用ピックを愛用。肘を軸にしながら、ネックエンド部分をオルネイトでピッキング。フラット弦を愛用していることもあり、芯のあるピック弾きながら温かく深みのある音色を奏でる。ピッキングのリズムは正確で、非常に速いフレーズを力強く巧みに弾きこなす。自らその演奏法をflared flat picking(炸裂するピック弾き)と命名。とりわけ、クインシー・ジョーンズの仕事ではカットタイム(倍速で演奏すること)を要求されることが多く、当時の現役ベーシストとしては最も速く演奏できたといわれる。音楽的にはジャズやラテンロック(ブーガロ)の影響が強く、ラインを構築するさいはジャズのコーダル・ノートを重視する。そのフレーズはしばし難解であるが、ほかの楽器や歌とのアンサンブルにおいて抜群のハーモニーを生み出す。

使用機材[編集]

長年、フェンダーのプレシジョンベースを愛用。1960〜1970年代は多忙のため弦の張り替えもままならず、スタジオの近所にある楽器店で定期的にベースごと買い替えていた。同じフェンダーでもジャズベースはネックが手に馴染まないことから、プレシジョンベースを主に使用した。後年はアイバニーズのエンド—サーとなり、SRX700を使用。

  • プレシジョンベース(フェンダー)
  • EB-0(ギブソン)
  • スティーブ・ベイリー・モデル(アリア)
  • SRX700(アイバニーズ)
  • Jazz Flats strings(トマスティック・インフェルド)
  • GK MB150S-iii Amp(ギャリエンクルーガー)
  • Promethean P500 HC Amp(アイバニーズ)

教育者としての活動ほか[編集]

1969年に、世界初のエレクトリックベース教則本「How To Play The Electric Bass」を上梓。この書名がきっかけとなり、それまでアメリカで“フェンダーベース”といわれていたベースギターの呼称が“エレクトリックベース”に変わった。以後、「Electric Bass Lines」シリーズなどを刊行、累計発行部数は公称50万部以上に昇り、スティングジョン・ポール・ジョーンズ、スチュワート・ハム、エイブラハム・ラボリエルジャコ・パストリアスネイザン・イースト、クリスチャン・マクブライドらが手にしている。ほかにも、ジャズギタリスト、ジョー・パスによる教則本などもプロデュースしている。後年はUCLAの教壇に立ったほか、多くのセミナーを開催。「Bassics Magazine」誌ではコラム欄を担当していた。また、楽器メーカーのアドバイザーとして、ギブソン・グラバーベースのスライド式ピックアップシステムを考案している。

評価[編集]

多くのヒット曲に関わったが、70年代の半ばで一線を退いて以来、一部の関係者に知られるのみで、最近まで無名の存在であった。そんな彼女に転機をもたらしたのは、アカデミー賞を受賞した映画『永遠のモータウン』だった。作中、ハリウッド録音の楽曲がデトロイトのハウスバンド、ファンク・ブラザーズの演奏として紹介されたことに異議を唱え、Wrecking crewや自身の功績を積極的にアピール。当初は風当たりが強かったものの、カナダで彼女の経歴を伝えるドキュメンタリー番組「First Lady of Bass」が放映される。また、モータウン以外の様々な音楽的功績が改めて評価されたこともあり、アメリカで幾多の音楽賞を受賞した。Wrecking crewについてもドキュメンタリー映画が製作されている。日本ではモータウンが再評価された機運に乗り、プロベーシストやソウル音楽の愛好家の間で知名度が高まっている。

その他[編集]

  • 愛猫家である。2012年末の時点で、黒猫のRocky、三毛猫のTessを飼っている。以前は黒猫のJoeを飼っていた。

外部リンク[編集]