キアサージ (空母)
| 艦歴 | |
|---|---|
| 起工 | 1944年3月1日 |
| 進水 | 1945年5月5日 |
| 就役 | 1946年3月2日 |
| 退役 | 1970年2月13日 |
| その後 | 1974年に廃棄 |
| 除籍 | |
| 性能諸元 | |
| 排水量 | 27,100 トン |
| 全長 | 888 ft (270.6m) |
| 艦幅 | 93 ft (28.4 m) |
| 全幅 | 147.5 ft (45 m) |
| 吃水 | 28.7 ft (8.8 m) |
| 機関 | ウェスティングハウス製蒸気タービン4機, 4軸推進, 150,000 shp |
| 最大速 | 33 ノット (61 km/h) |
| 乗員 | 士官、兵員3,448名 |
| 兵装 | 5インチ(127 mm)連装砲4基、5インチ単装砲4基 4連装40mm機銃8基、20mm機銃46基 |
| 艦載機 | 90 - 100 |
キアサージ(USS Kearsarge, CV/CVA/CVS-33)は、アメリカ海軍のエセックス級航空母艦。艦名は南北戦争時のスループ船キアサージに因む。その名を持つ艦としては3隻目。
目次 |
艦歴 [編集]
キアサージは1945年5月5日、ニューヨーク州のニューヨーク海軍造船所でオーブリー・W・フィッチ夫人によって命名、進水し、1946年3月2日、フランシス・J・マッケンナ艦長の指揮下就役する。
キアサージは1946年4月21日に母港バージニア州ノーフォークに着き、翌年のために東海岸とカリブ海に沿って訓練演習に従事した。1947年6月にノーフォークを出航、海軍兵学校生の訓練航海のためイギリスに向かう。8月にアメリカへ帰国、10ヶ月の演習に従事し1948年6月1日にハンプトンローズを出港、第6艦隊に合流する。地中海での任務期間に第6艦隊は中東有事に備えた警戒態勢にあった。キアサージは10月2日にロードアイランド州クォンセット・ポイントに戻り、1950年1月27日まで大西洋岸とカリブ海で作戦活動に入る。キアサージは2月23日にピュージェット・サウンド海軍工廠入りし、1950年6月16日にジェット機運用のための近代化改修で予備役となる。
キアサージはルイス・B・フレンチ艦長の指揮下1952年2月15日に再就役する。整調航海に続いて、キアサージは8月11日にサンディエゴを出港しハワイ島で集中的な飛行訓練を行う。本格的な活動準備が整うと朝鮮戦争での戦闘任務のため極東へ出航する。9月8日に横須賀に到着すると、6日後に朝鮮半島沖で第77高速空母機動部隊に加わる。続く5ヶ月間にわたってキアサージは北朝鮮に対しほぼ6,000回に及ぶ出撃を行い多大な戦果を上げている。2月末に任務を終え3月17日に母港サンディエゴへ帰還する。朝鮮での作戦行動中に艦種変更が行われ、分類番号は CVA-33 に変更された。
キアサージは1953年7月1日に再び極東へ向かって出航し、不安定な休戦状態に於いて第七艦隊と共に作戦行動に従事した。さらに、共産勢力の台湾攻撃に備え台湾海峡の監視を継続した。1954年1月18日にサンディエゴに帰還し、カリフォルニア州沖での訓練作戦を再開する。10月7日にサンディエゴでの任務を終えると再び極東へ向かう。第7艦隊との行動中にキアサージは大陳群島の中国国民党の支援を行う。1955年2月6日から13日までキアサージは島から18,000人の民間人および20,000人の軍人を救助した。5月12日にサンディエゴに帰還すると続く3年にわたってキアサージは極東への配備とカリフォルニアの訓練任務に従事した。
1958年夏にキアサージは対潜水艦作戦支援空母として艦種変更され、分類番号は CVS-33 となった。1960年2月には中部太平洋において千島列島から荒天の影響で漂流してきたソビエト連邦海軍の曳船を艦載機が発見、乗員4名を救助した。[1]
1960年代末から1970年代初めにかけて海軍力縮小が行われ、キアサージは1970年2月13日に退役する。予備役艦艇として3年間保管された後、1973年5月に除籍、1974年2月にスクラップとして売却された。
キアサージは朝鮮戦争の戦功で2つの、ベトナム戦争の戦功で5つの従軍星章を受章した。
注 [編集]
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
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