ガルガンチュワとパンタグリュエル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ガルガンチュワ から転送)

ガルガンチュワとパンタグリュエル(ガルガンテュアとパンタグリュエル、Gargantua, Pantagruel)とは、フランス・ルネサンス期の人文主義者フランソワ・ラブレー(François Rabelais)が描いた物語『ガルガンチュワ物語』『パンタグリュエル物語』のこと。

ガルガンチュワ(ガルガンチュア、ガルガンテュアとも)、パンタグリュエルという巨人の一族を巡る荒唐無稽な物語である。第二之書・第一之書はアルコフリバス・ナジエ(Alcofribas Nasier)という筆名(ラブレーのアナグラム)で、第三之書以降は本名で刊行した。1532-1552年に4巻までが出版された。ラブレーの死後第5巻が刊行されるが、偽書説もある。

既存の権威を風刺する内容であったため、1543年、パリ大学により禁書目録に掲載された。

『ガルガンチュワ物語』の方が執筆・出版とも後だが、内容的にみて「第一之書」と呼び、『パンタグリュエル物語』を「第二之書」と呼ぶ。

[編集] 概要

『パンタグリュエル物語』(第二之書)
Horribles et épouvantables Faits et Prouesses du très renommé Pantagruel
1532年(?)出版。当時ベストセラーになっていた著者不明の『ガルガンチュワ年代記』(1532年)をヒントに書いたもの。パンタグリュエルは元々中世の聖史劇に登場する小悪魔であったが、これをガルガンチュワの子供という設定にした。
巨人パンタグリュエルの出生から始まる。パンタグリュエルはポワチエ、オルレアン、パリなどで学業を積み、困難な訴訟を解決するなどして名声を得る。ある日、パニュルジュという奇妙な男に出会い、家臣にする。パニュルジュはトルコ人に捕まって火あぶりにされたが、かろうじて逃げてきたのだった。ディプソード人がユートピア国に侵入したと聞き、パンタグリュエルと家臣たち一行は征伐に出かける。
『ガルガンチュワ物語』(第一之書)
La vie très horrifique du grand Gargantua, père de Pantagruel(パンタグリュエルの父、ガルガンチュワのおそろしい生涯)
1534年(1535年?)出版。
ガルガンチュワの出生、少年時代から始まる。隣国の暴君ピクロコール王と戦争になるが、修道士ジャンの大活躍で勝利を収める。ジャンの希望で建てられたのが、「テレームの僧院」である。
「テレームの僧院」を描いた部分は一種のユートピア物語になっている。僧院には教養豊かな男女のみが入ることができ、唯一の規律は「汝の欲するところを行え」であった。
『第三之書』
Le Tiers Livre des faicts et dicts héroïques du noble Pantagruel
1546年出版。前書の刊行から10年以上経っており、風刺の内容も韜晦になっている。
家臣パニュルジュの結婚問題をきっかけに「コキュ(妻を寝取られた夫)にならないために」を巡ってプラトン対話篇ばりの議論が繰り広げられる。パンタグリュエル一行は答えを求めて各地の知者を訪ねてまわる。
『第四之書』
Le Quart Livre des faicts et dicts héroïques du bon Pantagruel
1548年に途中の章までの不完全版を出版、1552年に完全版出版。
「徳利明神」を尋ねてパンタグリュエル一行が航海に出る。
『第五之書』
Le Cinquième et dernier Livre des faicts et dicts héroïques du noble Pantagruel
1564年出版。ラブレーの死(1553年)の後に刊行されたもので、偽書とも、ラブレーの遺稿をもとにして別人が加筆したのではないかとも言われる。
内容は航海記の続き。

[編集] 邦訳

  • フランス文学者、渡辺一夫による日本語訳が出ている。言葉の洪水(卑猥な俗語の羅列等)や難解な古代ローマ法の議論などに悩みつつも、第二次世界大戦中から戦後にかけて、かつて翻訳不可能といわれた本書の完訳を遂げた。白水社全5巻で1943-1965年刊行、1964年に読売文学賞を受賞。改訳し1974年~75年に岩波文庫
  • ラブレーといえば渡辺訳であったが、宮下志朗による新訳がちくま文庫から刊行された。2005年1月『ガルガンチュア』、2006年2月『パンタグリュエル』、2007年9月『第三之書』と刊行中。