ガブリエル・グーヴレキアン

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ガブリエル・グーヴレキアン(Gabriel Guevrekian(Guerrekian), 1892年 - 1970年)は、アルメニア人の建築家、庭園アーキテクト、都市計画家、建築ジャーナリスト。戦前期はウィーンパリテヘランなどで活動し、CIAM設立にも参画。1925年パリ万国博覧会で出展制作した水と光の庭園は、秀逸な作品として今日でも知られる。戦後はアメリカ合衆国に渡り、後身の育成に当たる。イスタンブル生まれ。

人物概要[編集]

父は宝石の専門家。幼少期はテヘランで過ごす。1910年からは、姉とともにウィーンの建築家の叔父アレックスの下で過ごす。

1915年から1919年にかけて、ウィーンの芸術大学にてオスカール・ストランドの下で学ぶ。その後、ヨーセフ・ホフマンとストランドの下で、1920年から3年間実務を経験する。

1922年にパリに渡り、最初はアンリ・サベージと、その後1926年まで、いとことともにロベール・マレ=ステヴァンのもとでパートナーを務め、ステヴァン通りの集合住宅や同時期のパリやコートダジュールの別荘の設計を一緒に手がける。また、ル・コルビュジェアンドレ・リュルサジークフリード・ギーディオンらの活動に参画する。

1926年に独立し、パリで建築設計の他、ガーデンデザイナーやライターなど建築ジャーナル方面での活動も行い、1927年のCIAM創立に参画する。また、ル・コルビュジェによってCIAMの事務総長に任命される。事務総長は1928年から1932年まで務める。

2年後、フランスの有名な建築ジャーナル「L'architecture d'aujourd'hui」の創立メンバーとなる。

1932年、ヨーゼフ・フランツからウィーン工作連盟が行う住宅供給、住宅地建設の仕事を誘われ、ウィーンに渡りこの仕事に専念する。

その後イラン政府に招聘され、1933年から1937年までテヘランに渡り、地元の主任都市計画家と建築家として任命され、短期間に多くの政府機関や公共の建物を設計し、同時にイランに国際スタイルのモダニズム建築をもたらし、同国の近代化に重要な役割を果たす。

1937年から1940年まではロンドンで活動する。ロンドンでのプロジェクトは第二次世界大戦によって実現されなかった。

1940年にパリへ戻り、ザールブリュッケンのアカデミーで教鞭を執るかたわら、プレハブ住宅の開発に取り組む。ナチス・ドイツヴィシー政権への協力を避けるため、建築家としての活動を中断する。

終戦以降、地元の建築学校ジョルジュ=アンリ Pingusson で教え続けながら、ザールブリュッケンの戦災復興に取り組む。

1948年からは、米国に戦争中に移住していたウィーン時代の仲間からの誘いで渡米し、アラバマ工科大学に就任し都市の研究に取り組む。1949年から1969年までイリノイ大学教授。1953年、ハンス・フェッターの招待でザルツブルクのサマーアカデミーで教鞭を執る。

主な作品[編集]

  • 水と光の庭園 - 1925年パリ万国博覧会出展制作
    パリ博覧会で示したランドスケープアーキテクチャは彼のキャリアで最も興味を引く作品となり、欧州社会でリフレイミングされた初期の中で発生している。ジャルダン・ド・ラ・デリュミエール(水と光の庭)、その後のコートダジュールのシャルル・ド・ノアイユとマリー=ロール・ド・ノアイユ、マレステファン設計のヴィラハイムモーグルファッション(家の設計に一部グーヴレキアンも関与)である。近代的なデザイン潮流が起きていた20世紀初頭に、自然と人間との関係、庭に関連する思想転換を表現しているとして、ドロテーベールなどのデザイナーらが、自然のスライスを表して庭園を創作しなかった世界-Virgillianも求めるデカルトや理想的な、しかし、不活性のあるリビングに建て代わりに表示面とプラスチック組成の行材料のようなフレームと写真、だと注目した。
    ガーデンライトの水と庭園は正三角形三角形要素に分割、中心部に回転、光を内部に照らし球下に4層のプールに反射させた。これらは階層型に作付され、白とピンクの色合いのガラスの小さな三角形の2つの低壁に取り囲まれていた。球と反射面は、光があらゆる方向に庭園内に反映されて輝く。夜間は内部的に照らされた球が、光を外側へ表出させ、組成物を活性化投影した。
  • 鉄筋コンクリートの別荘案(1923年)
  • ブティックSimultanとeacute パリ(1924年)
  • Monsier R.Wのための別荘(1924年)
  • ポール・ポアレのパリの家案(1924年)
  • ジャック・ドゥーセ家案(1924年)
  • ヴィコント・シャルル・デ・ノアイユ子爵別荘の庭(1927年-1928年)
  • サントロペのパリ別荘案(1928年-1929年)
  • ウィーン住居供給協会の住宅地(1930年-1932年)
  • テヘランの多数の個人私有の別荘と住居(1933年-1937年)
  • テヘラン軍隊組織私立学校の円形劇場(1934年)
  • テヘランの劇場(1933年-1937年)
  • テヘランの軍事産業省・役員クラブ(1936年)
  • ラゴス正義宮殿案(ナイジェリア)
  • セントジョージ病院案(1937年-1940年)
  • ニューカッスル市役所

参考文献[編集]

  • Adams, WH 1993 Grounds For Change, Bullfinch Press, Boston
  • Blau, E, Troy, N & Cottington, D, 1997 Architecture and Cubism, MIT Press, Cambridge Massachusetts
  • Imbert, D 1993, The Modernist Garden in France, Yale University Press, London
  • Imbert, D 1997 'Unnatural Acts: Propostions for a New French Architecture', in Architecture and Cubism, Blau, E, Troy, N & Cottington, D, MIT Press, Cambridge Massachusetts