ガイ・エドワーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ガイ・エドワーズ
基本情報
国籍 イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランド
生年月日 1942年10月30日(72歳)
F1での経歴
所属チーム '74 ヒル
'76 ヘスケス
'77 BRM
活動時期 1974,1976 - 1977
出走回数 17(11 starts)
優勝回数 0
通算獲得ポイント 0
表彰台(3位以内)回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1974年アルゼンチンGP
初勝利 -
最終勝利 -
最終戦 1977年イギリスGP
テンプレートを表示

ガイ・エドワーズGuy Richard Goronwy Edwards QGM, 1942年12月30日 - )は、イングランドチェシャー州マックルスフィールド出身の元レーシングドライバー。息子はレーシングドライバーのシーン・エドワーズ

F1[編集]

スポーツカーやF5000を経て、1974年開幕戦アルゼンチンGPでヒルからデビュー。第7戦スウェーデンGPでは粘りの走りを見せ7位に入るもポイント獲得には至らず。その後レース中の事故で負傷しチームを離脱。ケガの影響で翌年も出走できずに終わる。

1976年、エドワーズはペントハウスリズラのスポンサーを取り付けてヘスケスからF1に復帰するが、悪いことにチームはオーナーアレキサンダー・ヘスケスの資金が尽きてマシンの戦闘力が低下しはじめたところで、最高位は第10戦ドイツGPでの15位に留まる。しかしこの年のエドワーズを語るのに外せないのは、最高位を記録したそのドイツGPでのニキ・ラウダの事故のことだろう。

ニュルブルクリンク北コースの「ベルクベルク」でのラウダのクラッシュに遭遇したエドワーズは、クラッシュ直後のラウダのマシンに衝突してしまったブレット・ランガーや後続を走っていたハラルド・アートルアルトゥーロ・メルツァリオと共にラウダの救出作業にあたった。このときエドワーズは駆け付けた救急隊にラウダの状態を逐一報告するなど冷静な対応を見せ、このことが称賛され、のちにエリザベス女王から勲章を与えられている。

エドワーズは翌年BRMから1戦だけ出場するが予選落ちに終わり、F1から身を引く。

F1後[編集]

1977年からル・マン24時間レース1985年まで参戦(1971年にも出場)している。 また1978年から1980年にかけて国内のフォーミュラレースに参戦。1勝を挙げている。1988年からはBTCCに2シーズン参戦した。


また、エドワーズはフリーのスポンサーハンターとしても活躍。スポーツカー世界選手権ジャガーチームにシルクカットを(1986-1991)、F1でも1992年ロータスカストロールのスポンサーをもたらすなどしており、「ミスター・スポンサー」とも呼ばれている。

関連項目[編集]