カール・ヨーゼフ・フォン・エスターライヒ (1745-1761)

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カール・ヨーゼフ大公

カール・ヨーゼフ・フォン・エスターライヒKarl Joseph von Österreich, 1745年2月1日 ウィーン - 1761年1月18日 ウィーン)は、神聖ローマ皇帝フランツ1世と皇后マリア・テレジアの間の第7子、次男。全名はカール・ヨーゼフ・エマヌエル・ヨハン・ネポムク・アントン・プロコプKarl Joseph Emanuel Johann Nepomuck Anton Prokop)。

内気な兄ヨーゼフ・ベネディクトとは反対に社交的で明るい性格だった。加えて魅力的な容姿と知性を兼ね備えたため、両親の愛息子として溺愛され、兄弟姉妹や宮廷人も競ってカール・ヨーゼフの好意や関心を得ようとした。特に母皇后がカール・ヨーゼフばかりを贔屓にしたことは、兄ヨーゼフとの間の不仲を引き起こした。父皇帝の所有するトスカーナ大公国の国主の座を継ぐことが約束されていたが、天然痘に罹患して16歳の誕生日を迎える直前に死去した。トスカーナは弟ペーター・レオポルトが代わりに相続することが決まった。

遺骸はカプツィーナー納骨堂に安置されたが、心臓だけは切り取られてウィーン・アウグスティナー教会英語版内のロレート礼拝堂ドイツ語版の、ハプスブルク家の成員の心臓を安置する部屋に保管された。

参考文献[編集]

  • Constantin von Wurzbach: Habsburg, Karl Joseph (1745–1761). In: Biographisches Lexikon des Kaiserthums Oesterreich. Band 6, Verlag L. C. Zamarski, Wien 1860, S. 389 f.
  • Friedrich Weissensteiner, Die Söhne Maria Theresias, Kremayer & Scheriau, 1991