カール・ムント

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カール・アール・ムント

カール・アール・ムント(Karl Earl Mundt, 1900年6月3日 - 1974年8月16日)は、アメリカ合衆国政治家。所属政党は共和党

経歴[編集]

サウスダコタ州ミネハハ郡ハンボルト (en:Humboldt, South Dakota)生まれ。1939年1月3日-1948年12月30日アメリカ合衆国下院議員(サウスダコタ州第1区選出)。1948年12月31日-1973年1月3日、アメリカ合衆国上院議員(サウスダコタ州選出)。

政府の発する情報は海外向けと国民向けとで厳格に区別されなければならないとする、1948年スミス・ムント法(連邦情報・教育交換法、en:Smith–Mundt Act[1]成立に尽力した。

1950年7月1日連合国軍最高司令官総司令部ダグラス・マッカーサーあての書簡で、海外向け国営テレビ「ヴィジョン・オヴ・アメリカ」[2]のための放送システムを日本に作るよう提案し、退けられた[3]が、正力松太郎柴田秀利を通して、日本国内での民間テレビ放送発足を支援した。

脚注[編集]

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  1. ^ 金子将史「パブリックディプロマシー~その歴史と役割」2000年8月
  2. ^ ムントに「ヴィジョン・オヴ・アメリカ」構想を吹き込んだのは、ジャパン・ロビーが席巻していたアメリカ合衆国国務省のVOA担当ウィリアム・ベントンであった。 有馬哲夫 『日本テレビとCIA-発掘された「正力ファイル」』 新潮社 2006年10月 pp.41-43.
    沖縄返還にあたり、架空の核撤去費が当初の5000万ドルから7000万ドルへ引き上げられたが、差額の2000万ドルは密約であり、VOA中継局移転費の日本側による肩代わり分だという。 田島康彦・清水勉 『秘密保全法批判-脅かされる知る権利』 日本評論社 2013年3月 pp.162-163.
  3. ^ 有馬哲夫 冷戦のメディア、日本テレビ放送網―正力マイクロウェーブ網をめぐる米国反共産主義外交・情報政策」

外部リンク[編集]