カール・ミヒャエル・ツー・メクレンブルク

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メクレンブルク公カール・ミヒャエル

カール・ミヒャエル・ツー・メクレンブルク:Karl Michael Herzog zu Mecklenburg, 1863年6月17日ユリウス暦6月5日] オラニエンバウム - 1934年12月6日 レンプリン)は、ドイツメクレンブルク=シュトレーリッツ大公家の一員で、帝政ロシアの貴族、軍人。メクレンブルク=シュトレーリッツ大公家家長(1918年 - 1934年)。ロシア語名はミハイル・ゲオルギエヴィチ・メクレンブルク=ストレリツキー(Михаил Георгиевич Мекленбург-Стрелицкий)。ドイツ語全名はカール・ミヒャエル・ヴィルヘルム・アウグスト・アレクサンダー(Karl Michael Wilhelm August Alexander)。

生涯[編集]

メクレンブルク=シュトレーリッツ大公ゲオルクの次男ゲオルク・アウグストとその妻でロシア大公ミハイル・パヴロヴィチの娘であるエカチェリーナ・ミハイロヴナの間の第4子、三男として、ロシアのオラニエンバウム(現在のロモノソフ)で生まれた。パーヴェル1世皇帝の曾孫であり、母方の祖母エレナ・パヴロヴナ大公妃の所有するミハイロフスキー宮殿で育ち、広義のロシア帝室の成員と見なされていた。

ドイツのシュトラスブルク大学人文学博士号を取得した後、ロシア陸軍に入隊し、最終的には陸軍中将まで昇進した。生涯独身を通したが、1909年に兄ゲオルク・アレクサンダーの4人の遺児の後見人となった。また、1894年に母親から相続したミハイロフスキー宮殿を、ロシア皇帝ニコライ2世に売却している。第1次世界大戦が勃発する直前の1914年6月20日、メクレンブルク=シュトレーリッツ大公アドルフ・フリードリヒ6世に対して、自身の大公位継承権を放棄すると通知し、大戦勃発後はロシアに帰化した。1917年3月にロシア革命によって帝政が崩壊すると、拘束されて国会への出頭を命じられ、カフカース地方に逃亡した。

1918年2月、大公アドルフ・フリードリヒ6世が自殺を遂げると、メクレンブルク=シュトレーリッツ大公国は君主が不在となった。君主の代行者となったメクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ4世は、唯一の継承権者であるカール・ミヒャエルに大公位に就くよう促し、シュヴェリーン地方に併合されることを恐れるシュトレーリッツ地方の臣民たちも、カール・ミヒャエルに大公位就任を求める請願書を送った。カール・ミヒャエルはフリードリヒ・フランツ4世に対し、改めて継承権放棄の意思を示した書簡を送ったが、この手紙が届いたのは1919年1月になってからだった。このためシュトレーリッツ大公国では大公位継承問題を解決できないまま、1918年11月のドイツ革命を迎えた。

カール・ミヒャエルは1919年に家族とともにロシアを出国し、最初はフランスに、次いでデンマークに移った。デンマークでは亡命ロシア人将校たちの相互扶助協会の会長を務めていた。1921年、大公位の請求権放棄と引き換えに、メクレンブルク=シュトレーリッツ自由州(Freistaat Mecklenburg-Strelitz)政府から500万マルクの補償金を受け取った。1930年4月に所領のあるドイツのレンプリンRemplin)の城に移った。

1928年9月11日、大公位継承権を認められていなかった甥のゲオルギー・カルロフ伯爵を正式に養子に迎え、この養子縁組は1928年10月11日にマルヒンMalchin)の地方裁判所に認可された。以後、ゲオルギーは「メクレンブルク公(Herzog zu Mecklenburg)」を名乗るようになった。1934年にレンプリン城で亡くなり、大公家の家督は甥で養子のゲオルギーが継いだ。

参考文献[編集]

  • Erstling, Frank; Frank Saß, Eberhard Schulze, Harald Witzke (April 2001). “Das Fürstenhaus von Mecklenburg-Strelitz” (German). Mecklenburg-Strelitz, Beiträge zur Geschichte einer Region. Friedland: Steffen. ISBN 3980753204. 
  • Huberty, Michel; Alain Giraud, F. et B. Magdelaine. L'Allemagne Dynastique, Tome VI : Bade-Mecklembourg. ISBN 9782901138068. 
先代:
アドルフ・フリードリヒ6世
メクレンブルク=シュトレーリッツ大公家家長
1918年 - 1934年
次代:
ゲオルク